円明
密教 [このテンプレートは廃止されています] |
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仏教 |
金剛乗仏教 |
時代・地域 |
初期 中期 後期 インド チベット 中国 日本 |
主な宗派(日本) |
東密 ※は、「真言宗各山会」加入 - 古義真言宗系 - ※高野山真言宗 ※東寺真言宗 ※真言宗善通寺派 ※真言宗醍醐派 ※真言宗御室派 ※真言宗大覚寺派 ※真言宗泉涌寺派 ※真言宗山階派 ※信貴山真言宗 ※真言宗中山寺派 ※真言三宝宗 ※真言宗須磨寺派 真言宗東寺派 - 新義真言宗系 - ※真言宗智山派 ※真言宗豊山派 ※新義真言宗 真言宗室生寺派 - 真言律 - ※真言律宗 台密 (〈日本〉天台宗) |
信仰対象 |
如来 菩薩 明王 天 |
経典 |
大日経 金剛頂経 蘇悉地経 理趣経 |
思想 基本教義 |
即身成仏 三密 入我我入 曼荼羅 護摩 東密 古義(広沢流 小野流) 新義 |
関連人物 |
東密 金剛薩埵 龍樹 龍智 金剛智 不空 恵果 空海 真言律 叡尊 忍性 信空 台密 最澄 順暁 円仁 円珍 |
ウィキポータル 仏教 |
円明︵えんみょう、生年不詳- 仁寿元年︵851年︶︶は、平安時代前期の真言宗の僧。空海の十大弟子の一人。出自不詳。
はじめ東大寺で三論宗を学び、後に空海に師事して密教を学び灌頂を受けた。承和3年︵836年︶5月、東大寺真言院に定額僧21人が置かれるにあたり、実恵とともに真言院の管理者に選任されている。同じころ実恵が入唐請益僧真済に託した唐青竜寺宛の書状[1]︵遭難のため届けられず︶にも、﹁東大の円明﹂とあり、東大寺に住していたことがわかる。承和5年︵838年︶から5年間、東大寺別当を務めた。嘉祥3年︵850年︶7月、権律師に任ぜられ、12月に律師となる。仁寿元年︵851年︶入滅[2]。
道猷﹃弘法大師弟子譜﹄は、このほかに天長元年︵824年︶9月に最初の神護寺定額僧21人の一員として名簿に名を連ねているとしている。しかし近年、その名簿﹁廿一口交名﹂を神護寺定額僧のものとすることや、名簿の信憑性に否定的な見解が出されている[3]。
補注
- ^ 『弘法大師行化記』(続群書類従8下)所収。
- ^ 国史に死亡記事がないため、『僧綱補任』による。入滅の月日、享年とも記載なし。
- ^ 武内孝善「泰範の生年をめぐって―承和四年四月五日付僧綱牒の信憑性」(『高野山大学論叢』37、2002年)