土屋詮教
日本の仏教学者
略歴
編集
●明治5年︵1872年︶、福島県福島市の浄土真宗本願寺派康善寺に生まれる。
●明治29年︵1896年︶、早稲田大学文科を卒業。
●明治30年︵1897年︶から明治32年︵1899年︶まで、京都の文学寮教授。
●明治32年︵1899年︶、﹃明教新誌﹄記者。
●明治33年︵1900年︶、﹃東京朝日新聞﹄記者、曹洞宗中学林講師となる。
●明治35年︵1902年︶から明治37年︵1904年︶まで、広島の第四仏教中学講師となる。
●明治37年︵1904年︶から明治39年︵1906年︶まで、東京の第一仏教中学に勤務する。
●明治38年︵1905年︶、早稲田大学講義録編輯主任として赴任。後に講師を兼ねる。
●大正7年︵1918年︶、早稲田大学主事となる。
●早稲田大学仏教青年会の監督をつとめ、同会の発展の基礎を築いた。
●昭和4年︵1929年︶に第1巻の刊行された﹃佛教年鑑﹄の編集責任者をつとめ、当時における仏教の教勢をつぶさに調べた。同年鑑はその後昭和13年︵1938年︶まで全9巻が発行され、日本の近代における仏教の歴史的展開を研究する上で、きわめて貴重な史料となっている。
●昭和31年︵1956年︶、死去。享年84。