実恵
786?-847, 平安時代前期の真言宗の僧
実恵︵じちえ/じつえ・実慧、延暦5年︵786年︶?[1]- 承和14年11月13日︵847年12月24日︶︶は、平安時代前期の真言宗の僧。空海の十大弟子の一人。
俗姓は佐伯氏、讃岐国の出身で空海の一族。檜尾僧都・道興大師とも称される。初代東寺長者とされている。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dc/Kanshinji_Dokou_daishi_gobyou.jpg/200px-Kanshinji_Dokou_daishi_gobyou.jpg)
![]() 密教 ![]() |
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仏教 |
金剛乗仏教 |
時代・地域 |
初期 中期 後期 インド チベット 中国 日本 |
主な宗派(日本) |
東密 ※は、「真言宗各山会」加入 - 古義真言宗系 - ※高野山真言宗 ※東寺真言宗 ※真言宗善通寺派 ※真言宗醍醐派 ※真言宗御室派 ※真言宗大覚寺派 ※真言宗泉涌寺派 ※真言宗山階派 ※信貴山真言宗 ※真言宗中山寺派 ※真言三宝宗 ※真言宗須磨寺派 真言宗東寺派 - 新義真言宗系 - ※真言宗智山派 ※真言宗豊山派 ※新義真言宗 真言宗室生寺派 - 真言律 - ※真言律宗 台密 (〈日本〉天台宗) |
信仰対象 |
如来 菩薩 明王 天 |
経典 |
大日経 金剛頂経 蘇悉地経 理趣経 |
思想 基本教義 |
即身成仏 三密 入我我入 曼荼羅 護摩 東密 古義(広沢流 小野流) 新義 |
関連人物 |
東密 金剛薩埵 龍樹 龍智 金剛智 不空 恵果 空海 真言律 叡尊 忍性 信空 台密 最澄 順暁 円仁 円珍 |
ウィキポータル 仏教 |
生涯
●はじめ奈良東大寺の泰基[2]に法相︵唯識︶を学ぶ。
●大同2年︵807年︶、受戒︵一説に延暦23年︵804年︶︶。
●弘仁元年︵810年︶、一説にこの年空海から灌頂を受ける。
●弘仁3年︵812年︶、杲隣、智泉とともに高雄山寺三綱に任じられる。
●弘仁7年︵816年︶から泰範とともに空海の高野山開創に尽力。
●天長4年︵827年︶、観心寺︵大阪府河内長野市︶を創建。
●承和3年︵836年︶5月、権律師︵一説に律師︶に任ぜられ、東寺長者となる。
●承和4年︵837年︶、一説に律師に任ぜられる。
●承和7年︵840年︶9月、少僧都に任ぜられる。
●承和10年︵843年︶11月、東寺二長者を創設し真済を任ずる。
● 同月、上表により真言宗の伝法灌頂職位が制定される。12月、伝法・結縁灌頂の道場として東寺灌頂院を創設し、真紹に伝法灌頂職位を授ける。
●承和12年︵845年︶、空海が天長5年に開設した学校である綜芸種智院を売却し、丹波国大山荘を買取。東寺伝法会の財源とする。
●承和14年︵847年︶11月13日[3]、河内国にて入滅。享年62。檜尾山に葬られる。
●安永3年︵1774年︶8月、道興大師の諡号を賜る。
弟子
補注
(一)^ 享年62説による。享年を63、61とする説もあり、生年は定かでない。
(二)^ 智灯﹃弘法大師弟子伝﹄、道猷﹃弘法大師弟子譜﹄では大安寺泰基となっているが、貞観9年に恵運が記した﹁安祥寺伽藍縁起資財帳﹂︵平安遺文1-164︶に﹁東大寺泰基﹂とあるほか、﹃高野雑筆集﹄所収の﹁両相公﹂宛書簡に﹁東大杲隣・実恵﹂とあり、実恵が東大寺を本寺としていたことが明らかなので、東大寺が正しい。
(三)^ 入滅の日について、他に12月12日、10月など諸説ある。国史に実恵の死亡記事はないが、この年の12月2日に律師長訓が少僧都になっているので、11月までに死去したとみられる。
(四)^ ﹁本朝伝法灌頂師資相承血脈﹂︵﹃大日本古文書﹄家わけ19、醍醐寺文書之一、279号︶所載。