岡田實麿
明治・大正期の英語教師
経歴
編集
広島県甲奴郡上下町︵現・府中市上下町︶の豪商の家に生まれる。同志社普通学校、慶應義塾を卒業後、渡米しオベリン大学に留学。帰国後神戸高等商業学校︵現・神戸大学︶教授を経て、1907年に新渡戸稲造に請われて第一高等学校︵現・東京大学︶教授[1]となる。英文解釈中心だった英語教育の趨勢に対し英作文など英語での表現を重視する指導法で当時の英語教育に新風を吹き込み、教科書の編纂にも携わると共に明治大学教授の山崎寿春が編集していた﹃受験英語﹄にも寄稿するなど受験生の指導にもあたった。
1924年に旧制一高を辞し明治大学予科教授に就任。大学の同僚となった山崎が1927年に駿台高等豫備學校を開校すると、同校にも出講し受験英語の指導に半生を捧げた。