栗原古城
経歴
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1882年、埼玉県北足立郡大宮町︵のち大宮市︶に生まれる[2]。東京高等師範学校附属中学校︵現・筑波大学附属中学校・高等学校︶で平田禿木に学び、上田敏とも知遇を得た[3]。第一高等学校在学中の1902年、﹃明星﹄12月号にイワン・ツルゲーネフの短編訳﹁世のをはり﹂を発表し、以後、同誌に翻訳の発表を続け、当時の日本では知られていなかったオスカー・ワイルドやウィリアム・バトラー・イェイツなどを紹介した[4]。
1903年、東京帝国大学文科大学英文学科に入学し、夏目漱石と上田敏の教えを受ける。1906年、漱石から、末松謙澄著﹃日本の面影﹄︵原書は末松がイギリスで日本を紹介するために著した﹃Rising Sun﹄︶の邦訳の仕事を依頼され、森田草平と共に引き受けている[3]。
1906年、東京帝国大学を卒業し、東京毎日新聞に勤務。その頃から﹃芸苑﹄や﹃帝国文学﹄などに文学評論を発表している。1921年、東京女子大学講師、その後、実践女子専門学校、東洋大学を経て、1952年、立正大学講師となり、1957年から教授となった。
人物
編集著書
編集翻訳
編集- 『偉人論講話』(ラルフ・ワルド・エマーソン、東亜堂書房) 1913
- 『死後は如何』(メーテルリンク、玄黄社) 1916
- 『衣装の哲学』(カーライル、岩波書店) 1917
- 「ラスキン叢書」全5巻(玄黄社)
- 『永久の歓び』 1917
- 『塵の倫理』 1917
- 『塵の倫理』 1918
- 『胡麻と百合』 1918
- 『時と潮』 1918
- 『モンテーニュ随筆集』(ミシェル・ド・モンテーニュ、国民文庫刊行会) 1927 - 1928
- 『ヘンリー・ライクロフトの手記』(ジョージ・ギッシング、角川書店) 1955
脚注
編集参考文献
編集- 『帝国人事大鑑 昭和7年版』(帝国日日通信社) 1932
- 『古城栗原元吉の足跡』(鏡味国彦、文化書房博文社) 1993