18579144726 - 193047[1][2][3]19568SF32
渋江保
誕生 1857年9月14日
江戸本所亀沢町
死没 1930年4月7日
職業 小説家
国籍 日本の旗 日本
ジャンル 怪奇小説
冒険小説
代表作 『月世界探検』
ウィキポータル 文学
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経歴

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18579144726 4[4][1][2][5][4][1][5][1]

1860 - 1861( - ) ()[6]

1868() [2][7]

1871(4)510 [6]

1871(4)6 3[6]

1872(5) [7]1

1873(6)67 ()

1875(8)1 [8]

1875(8)2 [9]()[8]

1875(8)7 ()[8]

1876(9)8 [8]

1877(10)7 [8]

1878(11)2 [8]

1879(12)10 退[8][7]

1880(13)12 [8]

1881(14)8 [8]

1882(15)12 [8]

1883(16)1 [10][7]

1885(18) [7][10]

1886(19) 西 [6]

1886(19)1015  ( )[10]

1887(20)18 ()9

1887(20)127 

1887(20)71 [10]

1887(20)915 [10]

1890(23)33 221905[5]18901901[2][1][5] 退使[1][5] 1917[5][7]

[7]

1903(36)9 西[11]

1905(38)12 [11]

1908(41) [11]

1930(5)47 

渋江保の民権思想

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渋江は、静岡県において、1879年(明治12年)に創刊された函右日報に論説を中心に記事を執筆しているが、渋江は函右日報紙上で憲法論を展開し、立憲君主制に基づいた主権国会論を提唱した。当時は女性が参政権を得ることはなく、このため渋江は国民主権ではなく、君民同治、天皇象徴制、国会主権論を採ったと思われる。こうした考えに渋江が到達した背景には、師であり慶応義塾時代から交誼を結んだ福沢の憲法観とは相容れない国会主権思想があったからである[12]

東京横浜毎日新聞における普通選挙論争

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渋江は東京横浜毎日新聞紙上において6回にわたり普通選挙論争を行い、東京日日新聞掲載の『毎日新聞は盲目蛇』という記事をわざわざ東京横浜毎日新聞に再掲している。また、1883年(明治16年)3月10日の東京横浜毎日新聞では、制限論者であると明白に述べている。しかし、このことについて、後に『抽斎歿後』で渋江は以下のように語っている。「毎日の「普通選挙論」に対して法科大学教授外山正一ハ「毎日記者ハ盲目蛇」と題する論駁を日々紙上に掲げ島田を攻撃し且つベンサムは制限選挙論者なるを知らずして普通選挙論者とするハ盲目蛇なりと嘲弄した 私ハ「外山先生ハ盲目蛇」題する一文を草しベンサムの憲法論中から普通選挙を可とする句々を摘挙して反駁した」[13]渋江が東京横浜毎日新聞紙上において述べた当時の見解は、納税の有無から選挙権を論じたのではなく、一定の教育水準に達していない人のことを踏まえのことであった。渋江が『抽斎歿後』執筆時に普通選挙論者の側に立った見解を述べたことは、男子普通選挙制ではあったが、渋江が新聞紙上で論争を繰り広げていた1883年(明治16年)当時に比べて、渋江のベンサム理解が晩年ベンサムが『憲法典』を執筆していた頃の段階に到達していたことへの証左となるものである。

三河、静岡における民権活動

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  188114188316退

渋江保代表著作『万国戦史』

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189427928241061118241414115使[14][15]

大学館時代の著作

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調[16]

渋江保の英語教育法

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渋江の英語学習歴や10校に及ぶ英語学校・私塾での英語教育から訳読式の変則英語教育法であることがわかる。また、森鴎外の『渋江抽斎』の記述に見られる渋江自身の英学への取り組みや母、五百に教えた一連の英語教材から、渋江の英語教育は、訳読式の変則英語教育法であることが理解できる。明治初期に大翻訳時代を迎える中で、渋江は会話中心の正則教育ではなく、先進的な西洋の知識や技術をいち早く取り入れるため訳読式の変則教育を英語教育法に取り入れ、後の博文館や大学館での翻訳・執筆にも大きな影響を与えた。

親族

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  • 妻 松(旧幕臣 佐野常三郎の娘)
  • 長男 三吉(さんきち)
  • 次男 繁次(しげじ)
  • 三男 純吉
  • 長女 福
  • 次女 冬子(ふゆこ)
  • 三女 乙女(おとめ)
  • 四女 紅葉(もみじ)

著作

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万国戦史

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  • 第二編『英清鴉片戦史』(万国戦史)博文館 1894年10月27日
  • 第四編『英佛聯合征清戦史』(万国戦史)博文館 1894年12月31日
  • 第六編『露土戦史』(万国戦史)博文館 1895年2月28日
  • 第七編『米国南北戦史』(万国戦史)博文館 1895年3月26日 
  • 第八編『普墺戦史』(万国戦史)博文館 1895年5月15日
  • 第十編『波蘭衰亡戦史』(万国戦史)博文館 1895年7月16日
  • 第十一編『クリミア戦史』(万国戦史)博文館 1895年8月18日
  • 第十二編『印度蚕食戦史』(万国戦史)博文館 1895年9月20日
  • 第十四編『伊太利独立戦史』(万国戦史)博文館 1895年11月19日
  • 第十五編『米国独立戦史』(万国戦史)博文館 1895年12月19日 
  • 第十六編『希臘独立戦史』(万国戦史)博文館 1896年1月23日
  • 第十七編『英国革命戦史』(万国戦史)博文館 1896年2月17日 
  • 第十八編『佛国革命戦史』(万国戦史)博文館 1896年3月20日 
  • 第二十編『フレデリック大王七年戦史』(万国戦史)博文館 1896年5月18日
  • 第二十一編『セザール・ポムペー羅馬戦史』(万国戦史)博文館 一部を渋江保執筆 1896年6月26日
  • 第二十二編『羅馬、加達額爾ピュニック戦史』(万国戦史)博文館 1896年7月19日 
  • 第二十三編『歴山大王一統戦史』(万国戦史)博文館 1896年8月17日
  • 第二十四編『希臘波斯戦史』(万国戦史)博文館 1896年9月24日
  • [米国史八巻万巻楼」
  • マコーレ「ミルトン」共益商社
  • 『社会学』竜渓書舎, 2007
  • 『抽斎没後』

英語関係著作

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  • 希臘羅馬文学史(通俗教育全書100冊)博文館 1891年10月
  • 英国文学史(通俗教育全書100冊)博文館 1891年11月
  • 独佛文学史(通俗教育全書100冊)博文館 1892年3月
  • ロングマンス第一読本註釈(英学全書4冊)博文館 1898年5月
  • ロングマンス第二読本註釈(英学全書4冊)博文館 1898年9月
  • ロングマンス第三読本註釈(英学全書4冊)博文館 1898年
  • ナショナルリーダー註釈一、二、三、四、博文館 1898年
  • ロングマンス第四読本註釈(英学全書4冊)博文館 1900年8月

西洋思想・教育・歴史関係著作

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  • 小学校授業必携二巻 浜松瞬養学校 1875年
  • 小学入門授業法 一貫社 1876年1月
  • 英国憲法論(渋江脩) 渋江保・山田要蔵共訳 1881年7月
  • 少年亀鑑神童 博文館 1891年1月
  • 国民錦嚢 博文館 1891年5月
  • 小論理書(通俗教育全書100冊)博文館 1891年
  • 普通教育学(通俗教育全書100冊)博文館 1892年3月
  • 社会学(通俗教育全書100冊)博文館 1893年1月
  • 通俗教育演説 (通俗教育全書100冊)博文館 1893年9月
  • 哲学大意(通俗教育全書100冊)博文館 1894年2月
  • 歴史研究法・上(通俗教育全書100冊)博文館 1894年3月
  • 歴史研究法・下(通俗教育全書100冊)博文館 1894年3月
  • 社会観察論 博文館 1894年
  • 独立評論、仏国革命 独立評論社 1913年
  • 独立評論、オイケン及びベルグソンの書 独立評論社 1914年

羽化仙史名義

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 19057

 ︿ 2190511

 ︿ 3190511

 ︿ 419061 - 8198610

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 ︿ 519062

 ︿ 61906

 19063

 ??︿ 919064

 ︿ 1019065

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 ︿ 1219069

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 19081

 19081

 19083

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 19086

 19087

渋江不鳴名義

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 19085

 19086

 姿19088

 19089

 190810

 190811

逸話

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(稿18)(72)(124)[17]

参考図書

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・山崎一頴「渋江保伝」(鴎外ゆかりの人々)教文堂2009年

・板垣公一『『渋江抽斎』の世界像(一)-渋江保-の位置(名城大学商学会 名城商学別冊二十八 1979年

  • 森鷗外『渋江抽斎』岩波文庫
  • 飯田, 宏 『静岡県英学史』 講談社、1967年。
  • 小泉浩一郎『森鴎外『鴎外歴史文学集第五巻渋江抽斎』註釈 小泉浩一郎』その百四の注釈6(岩波書店)2000年1月14日 321頁 

脚注

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(一)^ abcdef +Plus - 

(二)^ abcd  : . = The Bukkyo University Graduate School review. ,  432015391-108ISSN 1883-3985NAID 110009890237 

(三)^  20051014  2010513

(四)^ ab. .  

(五)^ abcdef201001993115152-153 

(六)^ abcd  (1967). . . p. 35 

(七)^ abcdefgPDF60200433063-1192016525 

(八)^ abcdefghij  (1967). . . p. 36 

(九)^ .  2 (PDF).   ( /) (25): p. 2. https://www.hcf.or.jp/pdf/facilities/bungei/izanai25.pdf 2016525 

(十)^ abcde  (1967). . . p. 37 

(11)^ abc (1967). . . p. 38 

(12)^  1672023178190 

(13)^ 歿歿 歿  1998235 

(14)^  2020204367 

(15)^  22202037-62 

(16)^  10047︿199262 

(17)^ 19941118