福王寺法林
1920-2012, 日本画家
人物 編集
代表作は、﹃島灯﹄﹃ヒマラヤの花﹄等。息子の福王寺一彦も日本画家。略歴 編集
●1927年、6歳のときに左眼を失明する。 ●1929年、上村廣成に師事し日本画を学ぶ。 ●1936年、画家を志して上京する。 ●1941年、召集され、中国に出征する。 ●1946年、復員し、院展に出展する。 ●1949年、作品﹁山村風景﹂が日本美術院展覧会に初入選する。 ●1953年、東京都三鷹市に転居し本格的に絵画制作に取り組む。 ●1960年、作品﹁北の海﹂が日本美術院賞・大観賞を受賞する。 ●1974年、幼い頃からの夢であったヒマラヤへの取材旅行を始め、これ以降、ヒマラヤを扱った作品が多くなる。 ●1977年、作品﹁ヒマラヤ連峰﹂で、第27回芸術選奨文部大臣賞を受賞する。 ●1984年、作品﹁ヒマラヤの花﹂で日本芸術院賞を受賞する[1]。 ●1994年、日本芸術院会員。 ●1997年、勲三等瑞宝章受章。 ●1998年、文化功労者顕彰受賞。 ●2004年、文化勲章受章[2]。 ●2004年、米沢市名誉市民顕彰受賞[3]。 ●2005年、山形県名誉県民顕彰受賞[4]。 ●2012年2月21日、心不全のため死去[5]。91歳没。叙従三位[6]作品 編集
●﹃北の海﹄ ●﹃島灯﹄ ●﹃ヒマラヤ連峰﹄ ●﹃ヒマラヤの花﹄脚注 編集
(一)^ ﹃朝日新聞﹄1984年4月5日︵東京本社発行︶朝刊、22頁。
(二)^ “美術界年史 2004年︵10月 文化勲章受章者、文化功労者︶”. 東京文化財研究所. 2014年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月21日閲覧。
(三)^ “名誉市民”. 米沢市役所. 2022年7月29日閲覧。
(四)^ “山形県名誉県民・山形県県民栄誉賞”. 山形県. 2022年7月29日閲覧。
(五)^ 訃報‥福王寺法林さん死去…﹁ヒマラヤの画家﹂、91歳 毎日新聞 2012年3月1日閲覧
(六)^ 官報本紙、2012年3月19日