立川三光
立川 三光︵たてかわ さんこう︶は、上方落語の名跡。作家の香川登志緒によると江戸︵東京︶の立川一派と混乱を避けるため﹁たちかわ﹂と呼んでいたという︵立川文庫がその例︶。なお、落語家の享号は先祖を辿るとみな同じで﹁親戚﹂関係にあることが多いが、江戸の立川と上方の立川は親戚関係はないらしい。
上方立川一派は、幕末から明治期にかけて隆盛を誇ったが、その後衰微したため、現存する記録、史料は極めて少ない。﹃落語系圖﹄には3代目まで記載されているが代々疑問点が多く、幕末には既に代替している可能性もある。
尚﹃落語系圖﹄立川流祖について詳しく伝えておりそれによれば、立川伴五郎いう役者の子に三五郎という人物があり、この人が立川の家元で芝居噺の名人であったという。﹁四谷怪談﹂など幽霊物の元祖といわれ、道具入りの芝居噺として、角座・中座でも興行したというが、歌舞伎の史料の面からしても非常に疑問点が多い。
初代
編集2代目
編集3代目
編集出典
編集- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
- 『ご存知 古今東西噺家紳士録』