肉じゃが
日本の煮込み料理
誕生の経緯
1870年から1878年までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりと言われている。この説を脚色されたものとするものもいるが、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法である。ビーフカレーと材料が同じ料理という事で軍隊食として非常に都合が良く定着した。ただし牛肉やじゃがいもという当時の日本人には馴染みの薄い食材を使うせいか、一般社会の食卓には定着しなかった︵牛鍋は外食、牛肉の大和煮は缶詰料理であり、ともに家庭料理ではない︶。肉じゃがが戦後の空白の時代を経て家庭食として再登場するのは昭和30年代の後半であり、また実際に定番メニューとして定着したのは早くても昭和40年代の後半とされている。今では﹁おふくろの味﹂の代名詞として家庭料理の代表作と呼ばれるまでになっている。この流れはカレーライスの普及と時を同じくしており、食材の牛肉とじゃがいもが日本の家庭に定着するのと軌を一にしている。当時は﹁甘煮﹂として人気を博した。
海軍厨業管理教科書
海軍経理学校で1938年に刊行された海軍厨業管理教科書(舞鶴総監部保管)にはレシピが次のように紹介されている。
- 油入れ送気
- 3分後生牛肉入れ
- 7分後砂糖入れ
- 10分後醤油入れ
- 14分後こんにゃく、馬鈴薯入れ
- 31分後玉葱入れ
- 34分後終了
発祥の地論争
京都府舞鶴市が1995年10月に﹁肉じゃが発祥の地﹂を宣言。1998年3月に広島県呉市も﹁肉じゃが発祥の地?﹂︵最初に宣言した舞鶴市に配慮して"?"をつけた︶として名乗りを上げた。
根拠は、
●舞鶴市‥東郷平八郎が初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府であり、現存する最古の肉じゃがのレシピが舞鶴鎮守府所属艦艇で炊烹員をしていた故人から舞鶴総監部に寄贈されたものである。
●呉市‥舞鶴赴任より10年前に呉鎮守府の参謀長として赴任している。
としている。
しかしながら資料が曖昧であり、最古のレシピが本当に舞鶴で作られたものなのか他の鎮守府から伝わったレシピを書き写したものではないのかという論争が決着していないため、両市とも﹁舞鶴・呉の双方が発祥地﹂としている。以上の詳細は高森直史の﹃海軍 肉じゃが物語 ルーツ発掘者が語る海軍食文化史﹄︵光人社 2006年︶に詳しい叙述がある。