角田喜久雄
角田 喜久雄 | |
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誕生 |
1906年5月25日 神奈川県 |
死没 | 1994年3月26日(87歳没) |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
ジャンル | 伝奇小説 |
主な受賞歴 | 日本探偵作家クラブ賞(1958年) |
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経歴・人物 編集
生い立ち 編集
神奈川県横須賀市に生まれ、父は佐倉藩士の家系で、海軍工廠印刷部創設要員だったが、翌1907年に浅草で印刷業を始めて一家で移転する。小学生の頃から、俳句、短歌、新体詩の投稿をしており、滝沢馬琴、山東京伝、黒岩涙香を愛読、中学時代はトルストイ、ドストエフスキー等を愛読していた。
東京府立三中時代の1921年︵大正10年︶に﹃現代﹄誌のスポーツ小説の懸賞に応募して二等となる。英語教師からシャーロック・ホームズの話を聞いて探偵小説に興味を持ち、翌1922年に﹃新趣味﹄に﹁毛皮の外套を着た男﹂を発表してデビュー。1923年に関東大震災で家が焼け、一時は進学を断念するが小説は書き続け、1925年に﹃キング﹄の懸賞小説に応募した﹁罠の罠﹂が掲載される︵奥田野月名義︶。同年に東京高等工芸学校入学。1926年に﹁発狂﹂で第1回サンデー毎日大衆文芸賞を受賞、同年に作品集﹃発狂﹄を刊行する。この頃﹃新青年﹄の作家による﹁探偵趣味の会﹂で江戸川乱歩、横溝正史らを知る。1928年に東京高等工芸学校を卒業し、研究助手嘱託。1929年から海軍水路部に勤務。