野中到 (気象学者)
略歴
●1867年︵慶応3年︶‥筑前国早良郡鳥飼村︵現福岡市︶に生まれる。
●1889年︵明治22年︶‥大学予備門︵東大教養学部の前身︶中退。
●1892年︵明治25年︶‥母方の従妹である福岡藩喜多流能楽師の娘・千代子︵戸籍名・チヨ︶と結婚︵至との間に早世した娘・園子を除き6人の子をなした︶。
●1895年︵明治28年︶1月・2月‥富士山頂通年観測の準備のため2度の冬季登山を行う。
●8月30日‥富士山頂に私財を投じて日本最初の富士気象観測所を建設。
●10月1日‥千代子と共に気象観測を開始。
●12月22日‥病気のため越年観測を断念し下山。
●1901年8月‥春陽堂より観測記録を含む著書﹃富士案内﹄刊行。
●1923年2月22日‥野中千代子死去。
●1955年2月28日‥死去。
野中夫妻を題材とした作品
映画化
テレビドラマ化
著書
- 野中至・野中千代子『富士案内 芙蓉日記』(大森久雄・編)平凡社ライブラリー、2006年 ISBN 4582765637
関連項目
- 御殿場馬車鉄道 - 一時期、野中到の個人経営となっていた。