おあん物語
(おあむ物語から転送)
内容
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﹃おあん物語﹄は、﹁子供集まりて、おあん様、昔物語なされませといえば﹂の書き出しで始まり、老婆おあんが昔の思い出を語る体裁をとる[4]。同書を書き記した人物は、幼少期におあんの昔話を聞いた親戚と思われる[4]。
おあんの父親・山田去暦は知行300石取りの武士で彦根に暮らし、慶長5年︵1600年︶の関ヶ原の戦いの頃は石田三成の配下として大垣城︵一説に佐和山城︶を守備した[3]。おあんは徳川家康方の軍勢から石火矢を打ち込まれる中で、母や城内の女性たちと城の天守にて鉄砲玉を作り、味方が討ち取った敵将の首に札を付けて天守に並べ置き、毎夜これに鉄漿︵お歯黒︶を付ける作業をし︵戦においてお歯黒付きの武士は身分が高いとされていたため、のちの恩賞のため鉄漿首を作ったという︶、寝泊まりもしたということ、目の前で14歳の弟が撃たれて死亡し、明日は落城という日には、父母や家来と共に梯子をかけて城を脱出し、逃亡の途中で母が女児を出産した際は田の水で産湯を使ったことなどが語られる。おあんはまた、彦根時代は貧しく、一日2食で、着る物も13歳から17歳まで同じ帷子一枚だった、などのことも述懐し、今時の若者は衣服に凝り、金を費やし、食べ物に様々な好き嫌いがあり、沙汰の限りであると言って彦根時代の話を持ち出して子供たちを叱ったため、子供たちからは﹁彦根婆﹂と呼ばれ、老人が昔のことを引いて現世に示すことをこの地方︵土佐︶では彦根と呼ぶとする俗説はこれに始まった、と綴られる。
おあん
編集おあむの松
編集脚注
編集- ^ a b c おあむ物語 オアンモノガタリ - コトバンク
- ^ a b ある戦国女性の生活(おあん物語) 菊池寛『わが愛読文章』非凡閣、1944年
- ^ a b c おあん コトバンク
- ^ a b 日本文章史の一節 八波則吉『国語教育大道』東洋図書、1933年。
- ^ 大垣城にあるおあむの松はいつ植えられたか レファレンス協同データベース 2016年6月18日
- ^ a b 「おあむの松」がすっきり姿を見せました(公財)大垣市文化事業団 2015年12月16日
- ^ 大垣観光協会「水の都おおがき舟下り/たらい舟」
関連項目
編集- 『武州公秘話』 - 谷崎潤一郎の小説。おあん物語と同じ首化粧の話が登場する
- 大垣市
- 岐阜県大垣市プロデュースアニメ - 本作をモチーフとするアニメ『おあむ物語 その夏、わたしが知ったこと』が制作されている。
外部リンク
編集- 『おあん物語』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 古谷知新編『女流文学全集. 第1巻』文芸書院、1919年。
- おあむ物語 - 国文学研究資料館
- 「『おあむ物語』について知りたい」 - レファレンス協同データベース 2014年1月17日