ウル第三王朝
ウル第三王朝︵ウルだい3おうちょう、3rd dynasty of Ur︶は、紀元前22世紀から紀元前21世紀にかけてメソポタミアを支配した王朝。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6b/Ziggarat_of_Ur_001.jpg/220px-Ziggarat_of_Ur_001.jpg)
現イラクにある、ウル・ナンム治世下に建てられたと言われる﹁ウルの ジッグラト﹂︵エ・テメン・ニグル︶。
ジッグラト遺跡の中では最も保存状態がよい。現在は2層が残り高さは20mだが、かつては3層であったとも言われる。月神ナンナを祀る神殿が頂座に置かれた。
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ウルの軍事司令官であったウル・ナンムが自立して、前22世紀末にウル第三王朝が建てられた。メソポタミアはかつてのシュメール人に代わってアッカド人の王朝がそれまで覇権を握っていたが、これは久々のシュメール人の王朝ともいわれる。建国者のウル・ナンムは、神殿の建築や運河の建設などを行うと共にウル・ナンム法典と称される法典を定めた。この法典は、のちに古バビロニア王国でまとめられるハンムラビ法典に影響を与えたと考えられる。第2代シュルギの時代までに行政機構が確立し、王権の神格化も進んでいった。
しかし、まもなくこの王朝はアムル人やエラム人の侵入に苦慮することとなった。シュルギ王やのちのシュ・シン王は、彼らの侵入を防ぐために防壁を設けた。
紀元前2004年︵または紀元前1940年︶、シュ・シンの息子であるイビ・シン王の時代にエラムが侵攻するとウルは陥落。エラム人によって王ははるか東方へ連行され、これをもってウル第三王朝は滅亡した。
その後
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