カッセル
紋章 | 地図 |
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基本情報 | |
連邦州: | ヘッセン州 |
行政管区: | カッセル行政管区 |
郡: | 郡独立市 |
緯度経度: | 北緯51度19分11秒 東経09度29分52秒 / 北緯51.31972度 東経9.49778度座標: 北緯51度19分11秒 東経09度29分52秒 / 北緯51.31972度 東経9.49778度 |
標高: | 海抜 166 m |
面積: | 106.8 km2 |
人口: |
204,687人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 1,917 人/km2 |
郵便番号: | 34117–34134, 34355 |
市外局番: | 0561, 05543 |
ナンバープレート: | KS |
自治体コード: |
06 6 11 000 |
行政庁舎の住所: | Obere Königsstraße 8 34117 Kassel |
ウェブサイト: | www.kassel.de |
首長: | クリスティアン・ゲゼレ (Christian Geselle) |
州内の位置 | |
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地図 | |
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d0/Herkules1_1.jpg/200px-Herkules1_1.jpg)
地理
編集都市景観
編集隣接する市町村
編集市の構成と市の広がり
編集カッセルの市域は、23の市区に分けられる。それぞれに地区議会があり、その代表者として地区長が存在する。地区議会議員は任期5年で各市区の住民による直接選挙で選出される。地区議会は市区に関わる質問・議論を聞くために重要な機会である。ただし最終的にはカッセル全市の行政担当者集会で決定される。
市区と境を接する市町村
編集歴史的に拡大した市区の他、かつては独立した町村がカッセルに合併して成立した市区もある。かっこ内に合併した年を記す。
市区 (合併年) | 地図 | 人口(2009年12月現在)[2] |
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01 ミッテ (Mitte) | 7,749 | |
02 ジュートシュタット (Südstadt) | 7,115 | |
03 フォルデラー・ヴェステン (Vorderer Westen) | 15,479 | |
04 ヴェールハイデン (Wehlheiden, 1899年) | 13,388 | |
05 バート・ヴィルヘルムスヘーエ (Bad Wilhelmshöhe, 1906年) | 11,955 | |
06 ブラッセルスベルク (Brasselsberg) | 3,980 | |
07 ジュスターフェルト=ヘレベーン (Süsterfeld-Helleböhn) | 5,841 | |
08 ハルレスハウゼン (Harleshausen, 1936年) | 12,657 | |
09 キルヒディトモルト (Kirchditmold, 1906年) | 10,469 | |
10 ローテンディトモルト (Rothenditmold, 1906年) | 6,370 | |
11 ノルト=ホラント (Nord-Holland) | 14,074 | |
12 フィリピネンホーフ=ヴァルテベルク (Philippinenhof-Warteberg) | 4,006 | |
13 ファザーネンホーフ (Fasanenhof, 1926年) | 8,413 | |
14 ヴェーザートーア (Wesertor) | 9,059 | |
15 ヴォルフスアンガー=ハーゼンヘッケ (Wolfsanger-Hasenhecke, 1936年) | 6,717 | |
16 ベッテンハウゼン (Bettenhausen, 1906年) | 8,156 | |
17 フォルストフェルト (Forstfeld) | 6,682 | |
18 ヴァルダウ (Waldau, 1936年) | 6,465 | |
19 ニーダーツヴェーレン (Niederzwehren, 1936年) | 11,240 | |
20 オーバーツヴェーレン (Oberzwehren, 1936年) | 12,754 | |
21 ノルツハウゼン (Nordshausen, 1936年) | 2,063 | |
22 ユングフェルンコプフ (Jungfernkopf) | 3,798 | |
23 ウンターノイシュタット (Unterneustadt) | 3,811 | |
デンケ (Dönche) |
カッセルの市区内には部分的に固有の名称を持つオルツベツィルクあるいはジートルングと呼ばれる小地区を有するものがある、たとえば、バート・ヴィルヘルムスヘーエ市区はムーラング、マールバッハスヘーエといった小地区を有し、飛び地の小地区クラーゲンホーフはヴォルフスアンガー=ハーゼンヘッケ区に属すといった具合である。上の表の最後にあるデンケは市区ではなく、市内南西部の未開墾の自然保護地域で、どの市区にも属さない土地である。ドイツの他の大都市が市境を更新することで人口をかなり増大させたのに対し、カッセルの人口は若干の変動はあるものの、ほぼ一定している。
1970年代に実施されたヘッセン州の地域再編の際、カッセルでは自治体の合併は行われず、1936年の市境が現在まで使われている。とはいえ、市街地は隣接する市町村とほとんど一体化している。
土地利用
編集カッセルの市域: 総面積 106.77 km2
土地の用途 | 2003年 | 2009年 |
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住宅と空き地(緑地) | 34.5% | 35.0% |
森林 | 21.6% | 21.6% |
農地 | 17.0% | 15.9% |
交通用地 | 13.0% | 12.9% |
レクリエーション用地 | 10.0% | 10.6% |
水域 | 2.0% | 2.1% |
その他の用途 | 1.5% | 1.5% |
産業用地 | 0.4% | 0.4% |
歴史
編集1150年頃にフランケンのヘッセンガウの伯、すなわちグーデンスベルク伯︵またはマーデン伯︶の居城として、増築された。1152年にvillaと記されていたカッセルは 1189年にcivitas︵﹁都市﹂︶と記録された。1239年にテューリンゲン方伯ヘルマン2世は都市権︵自治︶を承認した[4]。 1277年にカッセルは新たに創設されたヘッセン方伯のハインリヒ1世︵聖エリーザベトの孫︶の主城となった。ハインリヒはフルダ川に橋を架け、対岸に町を建設した。これ以後、この街の歴史はヘッセンの統治者の歴史と緊密に結びついている。14世紀末頃カッセル市と都市君主ヘッセン方伯との間で対立が見られた。1500年頃の市の人口は約4千人であった[5]。 16世紀の初めにヘッセン方伯フィリップ1世は、宗教改革の重要人物となった。1567年にフィリップ1世が亡くなった後、遺領は4人の息子によって分割された。長男ヴィルヘルム (ヘッセン=カッセル方伯)は遺領のうち北部を相続し、新たに宮廷をカッセルに置いたことから、その所領はヘッセン=カッセル方伯領と呼ばれることになった。カッセルはこの方伯領の中心都市と同時にカルヴァン派の拠点の一つにもなった。ヘッセン=カッセルは三十年戦争ではスウェーデンの同盟国となり、18世紀には方伯家のフリードリヒがスウェーデン王フレドリク1世として即位、さらに方伯位も継いで、両国は一時同君連合にもなった。街の景観は、ヘッセン=カッセル方伯カールによる1700年からの大規模なバロック建築プロジェクト︵たとえばカールスアウエやヘルクレス︶によって決定づけられた。七年戦争では、この街の支配者は、イギリス=プロイセン連合軍と、ハプスブルク側で戦ったフランス軍との間で何度も入れ替わった。 1803年にヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世が選帝侯となった直後、1806年にナポレオン軍がこの街を占領し、1813年までの間、新たに創設されたヴェストファーレン王国の首都となり、ナポレオンの弟ジェロームの宮廷が置かれた。ナポレオンの没落とともにヴェストファーレン王国も消滅したが、領土を回復したヴィルヘルムは神聖ローマ帝国の消滅にもかかわらず選帝侯の称号を用い続け、ヘッセン選帝侯国の国号でドイツ連邦に加盟した。 1866年の普墺戦争終戦後、ヘッセン選帝侯国は、やはりオーストリア側についたハノーファー王国、ナッサウ公国とともにプロイセンに併合された。 1920年から1925年までフィリップ・シャイデマンがカッセル市の上級市長を務めた。 1938年11月7日の夕方、カッセルのシナゴーグをはじめとするユダヤ教施設が破壊された。これは﹁水晶の夜﹂としてドイツの歴史に刻まれる事件の2日前のことであった。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/Untere_koenigsstrasse_1945.jpg/200px-Untere_koenigsstrasse_1945.jpg)
市町村合併
編集カッセルに合併したかつての独立した市町村は以下の通りである。
合併年 | 地名 | 面積 (ha) |
---|---|---|
1899年 | ヴェールハイデン | 372 |
1906年 | ヴァーラースハウゼン、キルヒディトモルト、ローテンディトモルト、ベッテンハウゼン | 1,770 |
1926年 | グーツベツィルク・ファザーネンホーフ | 142 |
1928年 | グーツベツィルク・オーバーフェルステライ・キルヒディトモルト、ヴィルヘルムスヘーエ、 クラーゲンホーフ、オーバーフェルステライ・エーレント |
2,968 |
1936年 | ヴァルダウ、ニーダーツヴェーレン、オーバーツヴェーレン、ノルツハウゼン、 ハルレスハウゼン、ヴォルフスアンガー |
2,483 |
人口推移
編集1899年にカッセルの人口は10万人を超え、これにより大都市の仲間入りをした。1939年までに人口は2倍の216,000人となった。これがこの街の史上最大人口であった。ヘッセン州統計局の記録によれば、2005年6月末の人口は194,176人であった。カッセル行政管区の地域計画部門は2020年までに人口は175,000人にまで減少すると算出している。
外国人比率
編集2005年現在カッセルには約23,300人の外国人が住んでいる。総人口に占める割合は 12.2 % で、ドイツ全体の平均値である約 8 % を超えている。ただし、ドイツ国籍を持つ者が10万人を超えるような大都市においては外国人比率は一般的に高い傾向にあり、こうした大都市の外国人比率の平均値(ドイツ西側の平均値で約 15 %)に比べると、この街のそれはやや低い値である。
また、この数値は地区によって大きな違いがある。ユングフェルンコプフ区の外国人比率は 3.9 % であるが、ノルトシュタット区のそれは 35.9 % である。
宗教
編集キリスト教
編集イスラム
編集カッセルには全市域を分割していくつかのイスラム組織がある。マッテンベルクに300人の信者のためのモスクが建設され、2008年に上級市長のベルトラム・ヒルゲンが定礎式に出席した。このプロジェクトはそれ以前から大きな議論となっていた[7]。
ユダヤ教
編集行政
編集市の代表者
編集カッセル市の上級市長は、2017年7月22日からクリスティアン・ゲーゼレが務めている。
以下に第二次世界大戦後の上級市長を列記する。
- 1945年 - 1954年: ヴィリ・ザイデル (SPD)
- 1954年 - 1963年: ラウリッツ・ラウリッツェン (SPD)
- 1963年 - 1975年: カール・ブランナー (SPD)
- 1975年 - 1991年: ハンス・アイヒェル (SPD)
- 1991年 - 1993年: ヴォルフラム・ブレマイアー (SPD)
- 1993年 - 2005年: ゲオルク・レーヴァンドフスキ (CDU)
- 2005年 - 2017年: ベルトラム・ヒルゲン (SPD)
- 2017年7月22日以降: クリスティアン・ゲゼレ (SPD)
市運営議会
編集紋章
編集姉妹都市
編集カッセルは、以下の都市と姉妹都市関係にある[8]。
経済と社会資本
編集交通
編集道路
編集カッセルは連邦アウトバーン A7、A44、A49号線沿いに位置する。市内を連邦道 B3、B7、B83、B251、B520号線が通っている。カッセル中央部からベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエに至るヴィルヘルムスヘーアー・アレーは、その真っ直ぐなルートにより、この街の主軸を歴然となしているが、最も交通量が多い道路というわけではない。ヴィルヘルムスヘーアー・アレーとケーニヒス通りとが接続する箇所の東側は、その大部分が歩行者専用区域となっている。
鉄道
編集乗り合いバスと路面電車
編集空港
編集2013年4月4日に開港したカッセル空港が市の北西に存在する。1970年に開設された小型飛行機用のカッセル=カルデン飛行場を移転し、新たに設置された。ヘッセン州内で民間航空便が就航している2つの空港のうちの一つである。
北西約58kmにパーダーボルン空港があるほか、ドイツ最大のフランクフルト空港まで約165kmという立地から就航便数・利用旅客数が伸び悩んでいる。
港
編集さらにカッセルには港がある。ヴェーザー川の源流であるフルダ川が航路となっており(ただし堰や閘門の制限を受ける)、ハン・ミュンデンまで蒸気船やレジャーボート、スポーツボートが航行できる。フルダ川の貨物輸送は停止されているが、これは既存の堰が近代的な貨物船にとっては小さすぎるためである。
街の中心部
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/eb/Kassel-Hbf-Rampe-Kurfuerstenstrasse.jpg/200px-Kassel-Hbf-Rampe-Kurfuerstenstrasse.jpg)
メディア
編集官庁および公共施設
編集カッセルには、以下の施設、研究所および公法上の機関の本部がある。
連邦レベルの機関
編集州レベルの機関
編集- ドイツ年金保険ヘッセン
- 州営企業 HESSEN FORST
- 州営企業 Hessisches Landeslabor Standort Kassel
- 民間放送のためのヘッセン州立機関 (LPR ヘッセン)
- ヘッセン州立消防学校
- ヘッセン州社会福祉事業連合(LWVヘッセン)
- ヘッセン州社会保障・社会福祉局
- 州営企業 Landwirtschaft(農業)
- カッセル第1刑務所、第2刑務所、第3刑務所
司法
編集- 連邦社会裁判所
- ヘッセン行政裁判所
- ヘッセン税務裁判所
- カッセル社会裁判所
- カッセル労働裁判所
- カッセル行政裁判所
- フランクフルト・アム・マイン上級州裁判所カッセル民事部
- カッセル地方裁判所
- カッセル区裁判所
- カッセル弁護士連
教会
編集- クアヘッセン=ヴァルデック・プロテスタント教会
- Evangelischer Gnadauer Gemeinschaftsverband
- カッセル・カトリック教会(フルダ司教区カッセル=ホーフガイスマー首席司祭区)
- 新使徒派教会(カッセル教区)
市の施設
編集カッセル市は、北部ヘッセンで唯一、職業消防隊を有する都市であり、2つの常設の消防監視隊がある。
その他
編集教育と研究
編集研究施設
編集- 風力エネルギーとエネルギーシステム工学に関するフラウエンホーファー研究所 (IWES)
- 建築物理学に関するフラウエンホーファー研究所 (IBP)
- 情報工学=様式研究センター (ITeG)
- カッセル大学研究情報センター (INCHER)
- ソーラーエネルギー供給技術研究所 (ISET)
- 環境を意識した建築センター (ZUB)
- 平和学研究所 AG
その他の教育機関と学校
編集自然保護区デンヒェ内にヘッセン州立消防学校 (HLFS) がある。ここではヘッセン州全土の消防士が養成教育および継続教育を受けている。
フルダ司教区のカトリック成人教育機関はレギオハウス・アドルフ・コルピングに本部を有している。この機関は KEBヘッセンに所属している。
カッセルで最も古いギムナジウムは1779年に創立されたフリードリヒスギムナジウムである。オープン・スクール・ヴァルダウは2006年にドイツ学校賞を受賞した。カッセル全体では、基礎課程学校が27校。総合学校が8校、本課程・実科学校が4校、職業上級学校が7校、ギムナジウムおよびギムナジウム上級学校が7校、定時制学校が2校、養護学校が約10校ある。
文化と見所
編集建築
編集演劇
編集音楽
編集文書館
編集美術館、博物館、ギャラリー
編集カッセルには重要な博物館/美術館や展示会場が数多くある。現在のカッセルのこうした美術館や博物館の基盤はヘッセン=カッセル方伯ならびに選帝侯のコレクションである。現在フリードリヒス広場に面したフリーデリキアヌムは1779年に開館した。ヨーロッパ大陸で最初の公共美術館建築である。その特別な役割には、5年ごとに開催されるドクメンタの「100日間の美術館」を開催することがある。
ムゼウムラントシャフト・ヘッセン・カッセル
編集ヘッセン州立の美術館や博物館は、ムゼウムラントシャフト・ヘッセン・カッセル(ヘッセン・カッセル美術館・博物館地方)という共通のモットーを掲げている。
ヴィルヘルムスヘーエ城
編集ノイエ・ギャラリー
編集ノイエ・ギャラリー(新ギャラリー)は、市役所とカールスアウエとの間にある。この建物は1871年から1877年に建築家ハインリヒ・フォン・デーン=ロートフェルザーによって建設され、1877年12月28日に完成した。この美術館には1750年から現代までのヨーロッパ絵画と彫刻が収蔵されている。この美術館は改築工事のために2012年まで閉鎖中である。
ヘッセン州立博物館
編集この博物館は、カッセル市役所の近く、ヴィルヘルムスヘーアー・アレーの起点に位置している。この建物はカッセル市1000年記念の1913年8月23日にテオドール・フィッシャーによって完成された。第二次世界大戦で、近隣のカッセル中心街がほぼ完全に破壊されたのに対してこの建物はわずかな損傷だけで切り抜けた。重点は
- 先史時代と古代の歴史
- 工芸品と塑像
- 民俗学
- 壁紙博物館
である。 世界初の壁紙博物館は1923年6月30日に開館した。創設者のグスタフ・イーフェンは壁紙の発展史を記録しようとしただけではなく、危機に直面していた壁紙産業にインパクトを与えることも意図していた。塗装業者が壁の塗装で活況を呈していたのである。この私的なコレクションは1933年にヘッセン州立博物館に収蔵された。この博物館は改修工事のために2013年まで閉鎖されており、隣の楼門内の工芸品コレクションだけが引き続き開館している。
宇宙物理学展示室
編集分館
編集カッセルの北約 10 km のカルデン近郊に芸術史上全国的に重要なロココ時代のヴィルヘルムスタール城がある。バート・ヴィルドゥンゲンにあるフリードリヒシュタイン城にはムゼウムラントシャフト・ヘッセン・カッセルの武器コレクションがある。
市立博物館
編集グリム兄弟博物館
編集オットネウムの自然学博物館
編集カッセル市の自然学博物館は、フリードリヒス広場に隣接するシュタインヴェクのオットネウム内にある。この博物館は1568年に創設されたヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム4世の自然学室に由来する。
市立博物館
編集市立博物館は1979年に歴史博物館として設立された。ここでは都市模型、グラフ表示、日用品などによってカッセルの発展の歴史を描出している。このため近代が前面に出されている。この博物館は改修工事のために2013年まで閉鎖されている。隣接する歩行者専用区域に小規模な常設展示を行う「展示場」が設けられた。
その他の博物館
編集図書館
編集カッセル大学図書館は、カッセル市の Landes- und Murhard図書館と大学本来の図書館との共同図書館である。
市立図書館は市内全域の多くの分館に分かれている。
庭園と公園
編集ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ
編集カールスアウエとフルダアウエ
編集習俗と名物料理
編集「アライグマのヨーロッパの首都」
編集イベント
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5a/Front_of_Stadthalle_Kassel_during_Connichi_20050918.jpg/200px-Front_of_Stadthalle_Kassel_during_Connichi_20050918.jpg)
スポーツ
編集サッカー
編集アイスホッケー
編集カッセル・ハスキーズは1994年のドイツ・アイスホッケー・リーグ (DEL) 発足時の参加チームで、2006/07年シーズンと2007/08年シーズンを除き、このドイツ最高クラスのリーグでプレイしていた。ハスキーズは1997年に最高位であるドイツ準優勝を勝ち取った。このチームは Stéphane Richer 監督の下で、2008年4月25日に2シーズンの不在の後再び DEL に復帰した。しかし、2009/10年シーズン終了後、その運営会社は破産を申告しなければならなかった。その結果、DEL も ESBG (Eishockeyspielbetriebsgesellschaft) も試合の開催許可を与えず、ハスキーズ GmbH が起こした裁判も不成功に終わった。
このチームのホームゲームは、アイススポルトハレ・カッセルで開催されていた。
ハンドボール
編集ハンドボールは、伝統的に北部ヘッセンで、特にカッセルでは非常に愛好されているスポーツである。長年にわたって成功を収め、現在はレギオナルリーガでプレイしている SVHカッセル(ハルレスハウゼン)がある他、ブンデスリーガでプレイするMTメルズンゲンもカッセルのローテンバッハ・ハレでホームゲームを開催している。
陸上競技
編集ウォータースポーツ
編集卓球
編集WSVヤーン・カッセルは、卓球競技で長年にわたって北部ヘッセンをリードするクラブの1つであった。男子チームは1954年からオーバーリーガ(当時ドイツで最高のリーグであった)で、1988年からはブンデスリーガ2部でプレイしたが、2005年にレギオナルリーガに降格した。2007年には卓球部門が分離され、SVHカッセルと統合された。その男子チームはやはりレギオナルリーガでプレイしている。
テニス
編集この他にカッセルで人気のスポーツがテニスである。この地域最大で北部ヘッセンで唯一の世界ランキング・トーナメントである「ヴィルヘルムスヘーアー・オープン」で知られている。
その他のスポーツ
編集人物
編集出身者
編集- ヴァレリウス・コルドゥス(1515年 - 1547年)植物学者、医師、薬学者、自然学者
- ヴィルヘルム4世(1532年 - 1592年)ヘッセン=カッセル方伯
- ルートヴィヒ4世(1537年 - 1604年)ヘッセン=マールブルク方伯
- エリーザベト・フォン・ヘッセン(1539年 - 1582年)ヘッセン方伯フィリップ1世の娘、プファルツ選帝侯ルートヴィヒ6世の妃
- クリスティーネ・フォン・ヘッセン(1543年 - 1604年)ヘッセン方伯フィリップ1世の娘、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公アドルフの妃
- ゲオルク1世(1547年 - 1596年)ヘッセン=ダルムシュタット方伯
- モーリッツ(1572年 - 1632年)ヘッセン=カッセル方伯
- ヴィルヘルム5世(1602年 - 1637年)ヘッセン=カッセル方伯
- フリードリヒ(1617年 - 1655年)ヘッセン=エシュヴェーゲ方伯
- エルンスト1世(1623年 - 1693年)ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク方伯
- シャルロッテ・フォン・ヘッセン=カッセル(1627年 - 1686年)プファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒの妃
- ヴィルヘルム6世(1629年 - 1663年)ヘッセン=カッセル方伯
- ヴィルヘルム1世(1648年 - 1725年)ヘッセン=ローテンブルク方伯
- シャルロッテ・アマーリエ・フォン・ヘッセン=カッセル(1650年 - 1714年)ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム6世の娘、デンマークとノルウェーの王クリスチャン5世の王妃
- ヴィルヘルム7世(1651年 - 1670年)ヘッセン=カッセル方伯
- フィリップ(1655年 - 1721年)ヘッセン=フィリップスタール方伯
- エリーザベト・ヘンリエッテ・フォン・ヘッセン=カッセル(1661年 - 1683年)ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム6世の娘、ブランデンブルク選帝侯の侯位継承者であった後のプロイセン王フリードリヒの妻
- フレドリク1世(1676年 - 1751年)ヘッセン=カッセル方伯で、スウェーデン王を兼ねた
- ヴィルヘルム8世(1682年 - 1760年)ヘッセン=カッセル方伯
- マリア・ルイーゼ・ファン・ヘッセン=カッセル(1688年 - 1765年)オラニエ公ヨハン・ウィレム・フリーゾの妃
- フリードリヒ2世(1720年 - 1785年)ヘッセン=カッセル方伯
- ヴィルヘルミーネ・フォン・ヘッセン=カッセル(1726年 - 1808年)プロイセン王子ハインリヒ・フォン・プロイセンの妻
- ヴィルヘルム1世(1743年 - 1821年)ヘッセン選帝侯
- ヨハン・フォン・エーヴァルト(1744年 - 1813年)将校、軍事専門家
- カール・フォン・ヘッセン=カッセル(1744年 - 1836年)ヘッセン=カッセル方伯、ノルウェー総督、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン総督
- コンラート・メンヒ(1744年 - 1805年)薬剤師、化学者、植物学教授
- フリードリヒ・フォン・ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム(1747年 - 1837年)ヘッセン=カッセル方伯家の公子
- エリーザベト・マーラ(1749年 - 1833年)オペラ歌手
- カール・ダウプ(1765年 - 1826年)プロテスタントの神学者
- ゲオルク・フリードリヒ・ザルトリウス(1765年 - 1828年)歴史家
- ヨハン・ベルンハルト・ロギアー(1777年 - 1846年)音楽家、作曲家、音楽教育者
- フリードリヒ・ティーデマン(1781年 - 1861年)天文学者、物理学者
- ユリウス・フォン・ハイナウ(1786年 - 1853年)オーストリアの将軍
- オットー・フィリップ・ブラウン(1798年 - 1869年)戦争大臣、大元帥
- クリスティアン・ユリウス・ヴィルヘルム・シーデ(1798年 - 1836年)医師、植物学者、著述家
- ルートヴィヒ・カール・ゲオルク・プファイファー(1805年 - 1877年)医師、植物学者、貝類学者
- ルートヴィヒ・シュンケ(1810年 - 1834年)ピアニスト、作曲家
- ユストゥス・カール・ハースカール(1811年 - 1894年)自然学者
- アンドレアス・アーヒェンバッハ(1815年 - 1910年)風景画家
- マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク(1816年 - 1903年)作家
- ポール・ジュリアス・ロイター(1816年 - 1899年)企業家、ロイター通信社の創設者
- ルイーゼ・フォン・ヘッセン=カッセル(1817年 - 1898年)デンマーク王クリスチャン9世の王妃
- ヘルマン・グリム(1828年 - 1901年)文化史家、著述家
- アドルフ・オイゲン・フィック(1829年 - 1901年)生理学者
- フランツ・ゲオルク・フィリップ・ブーヒェナウ(1831年 - 1906年)植物学者、教育家
- カール・クラウス(1835年 - 1899年)動物学教授
- ルードウィッヒ・モンド(1839年 - 1909年)化学者
- ヨシアス・フォン・ヘーリンゲン(1850年 - 1926年)プロイセンの士官、戦争大臣
- アルベルト・ベッツェンベルガー(1851年 - 1922年)文献学者、考古学者
- フィリップ・シャイデマン(1865年 - 1939年)ドイツ国首相
- リヒャルト・ラインハルト・エミール・ショル(1867年 - 1951年)天文学者
- エルンスト・ノイマン=ネアンダー(1871年 - 1954年)画家、発明家
- フランツ・ローゼンツヴァイク(1886年 - 1929年)ユダヤ系哲学者、歴史家
- アーデルハイト・フォン・ザクセン=マイニンゲン(1891年 - 1971年)ザクセン=マイニンゲン家の公女、プロイセンの王子アーダルベルト・フォン・プロイセンの妻
- ゲオルク・フォン・ザクセン=マイニンゲン(1892年 - 1946年)ザクセン=マイニンゲン家の家長
- ヘルムート・ハッセ(1898年 - 1979年)数学者
- アルノルト・ボーデ(1900年 - 1977年)画家、デザイナー、インテリアデザイナー、キュレーター、芸術教育家
- ヴァルター・グロース(1904年 - 1945年)政治家
- フェルディナント・フランツ(1906年 - 1959年)オペラ歌手
- ハインツ・フリードリヒ・ハルティヒ(1907年 - 1969年)作曲家、音楽教育家
- ハンス・ゲルリット・フォン・シュトックハウゼン(1907年 - 1943年)海軍将校
- ペーター・ベルクラー(1919年 - 1989年)医師、歴史家
- カール・ハインツ・メッツナー(1923年 - 1994年)サッカー選手
- ゲルハルト・ヤーン(1927年 - 1998年)政治家、連邦法務大臣
- エルンスト=ヴォルフガング・ベッケンフェルデ(1930年 - )法学者、連邦憲法裁判所判事
- ホルガー・ベルナー(1931年 - 2006年)政治家、ヘッセン州首相
- ミヒャエル・シュテュルマー(1938年 - )歴史家
- ハンス・アイヒェル(1941年 - )政治家、連邦財務大臣、カッセル市長、ヘッセン州首相
- トールヴァルト・プロル(1941年 - )作家
- アストリート・プロル(1947年 - )ドイツ赤軍の創始者
- ヴェルナー・ベッツィング(1949年 - )文化地理学教授
- ブリギッテ・ツィプリース(1953年 - )政治家、連邦法務大臣
- ウルリケ・フォルカーツ(1961年 - )女優
- ベルント・シュトゥルムフェルス(1962年 - )数学者
- クリス・ヒュルスベック(1968年 - )音楽家(コンピューターミュージック)
- エマー・エルドアン(1977年 - )サッカー選手
- マルティナ・ミュラー(1980年 - )女子サッカー選手
- アニカ・メールホルン(1963年 - )女子水泳選手
- オゼル・フルマジュ(1986年 - )サッカー選手
ゆかりの人物
編集- ヨスト・ビュルギ(1558年 - 1632年)天文学者
- ハインリヒ・シュッツ(1585年 - 1672年)作曲家
- デニス・パピン(1647年 - 1712年)物理学者
- ヨハン・ゲオルク・アダム・フォルスター(1754年 - 1794年)博物学者
- ドロテア・フィーマン(1755年 - 1815年)グリム兄弟に聞き覚えた童話を語った女性
- ザムエル・トーマス・フォン・ゼンメルリング(1755年 - 1830年)医師、解剖学者、人類学者、古生物学者、発明家
- ルイ・シュポーア(1784年 - 1859年)作曲家
- ヤーコプ・グリム(1785年 - 1863年)文芸学者(グリム兄弟のうち兄)
- ヴィルヘルム・グリム(1786年 - 1859年)文芸学者(グリム兄弟のうち弟)
- ルートヴィヒ・エミール・グリム(1790年 - 1863年)画家、銅版画家(グリム兄弟ヤーコプおよびヴィルヘルムの弟)
- アルベルト・ヴィルヘルム・ハインリヒ・フォン・プロイセン(1862年 - 1929年)海軍司令官
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ(1888年 - 1931年)映画監督、学生時代をカッセルで過ごした
- ローラント・フライスラー(1893年 - 1945年)法律家、人民法廷長官、1924年にカッセルに法律事務所を開設した
- ゲルハルト・フィーゼラー(1896年 - 1987年)フィーゼラー飛行機の創始者
- ルドルフ・カラツィオラ(1901年 - 1959年)レーシングドライバー、1920年代にカッセルのベルク賞を受賞している
- ラウリッツ・ラウリッツェン(1910年 - 1980年)政治家、連邦建設大臣、連邦郵政大臣、連邦交通大臣、カッセル市上級市長
- オットー・ザンダー(1941年 - )俳優、カッセルで育った
- シュテファン・バルケンホール(1957年 - )彫刻家、フリードリヒスギムナジウムでアビトゥアを取得した
- バーバラ・ルドニーク(1958年 - )女優
参考文献
編集- カッセル. In: Meyers Konversations-Lexikon. 4. Auflage. Band 9, Verlag des Bibliographischen Instituts, Leipzig/Wien 1885–1892, S. 592.
- Hessisches Städtebuch; Band IV 1. Teilband aus Deutsches Städtebuch. Handbuch städtischer Geschichte – Im Auftrage der Arbeitsgemeinschaft der historischen Kommissionen und mit Unterstützung des Deutschen Städtetages, des Deutschen Städtebundes und des Deutschen Gemeindetages, hrsg. von Erich Keyser, Stuttgart 1957
- Kasseler Musikgeschichte. Hg. v. Andreas Wicke. Gudensberg 2004
- Paul Heidelbach, Karl Kaltwasser [Hrsg.]: Kassel : Ein Jahrtausend hessischer Stadtkultur. Bärenreiter-Verlag, Kassel, 1957.
- Hugo Brunner: Geschichte der Residenzstadt Cassel. 913-1913. Zur Feier des 1000-jährigen Bestehens der Stadt. Weidlich, Frankfurt am Main, 1978. ISBN 3-8128-0019-5
- Heinz Körner: Kassels Südstadt; Historische Entwicklung der südlichen Vorstadt. Meister, Kassel, 1990.
上記文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。
- Michael Imhof : Kassel. Stadtführer. Michael Imhof Verlag, Petersberg, 2001 ISBN 3-932526-07-4
引用
編集- ^ Hessisches Statistisches Landesamt: Bevölkerung in Hessen am 31.12.2023 (Landkreise, kreisfreie Städte und Gemeinden, Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)]
- ^ http://www.stadt-kassel.de/stadtinfo/zahlen/bevoelkerung/
- ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 303.
- ^ Heinrich Gottfried Gengler: Regesten und Urkunden zur Verfassungs- und Rechtsgeschichte der deutschen Städte im Mittelalter, Erlangen 1863, pp. 467-479. - Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 1035.
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 1035. - Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 303.
- ^ Bonner Geschichtsblätter Bd. XX, Auseinandersetzungen um den vorläufigen Bundessitz, Bonn 1967
- ^ モスク建設 Frankfurter Rundschau、2008年8月28日付け
- ^ カッセル市のウェブサイト ― 姉妹都市
- ^ Die Entwicklung des Ausbildungs- und Arbeitsmarktes im August 2010(カッセル職業安定所)
- ^ “ICE-Netz 2011” (PDF). DB Netz AG (2010年10月). 2011年9月26日閲覧。
- ^ ボローニャ・プロセス(日本語)
- ^ 『名景世界遺産 水辺編』パイインターナショナル、2014年、79頁。ISBN 978-4-7562-4525-0。