焼夷弾

焼夷剤の詰められた爆弾及び砲弾

: incendiary bombincendiary ammunition
使1965

使


種類

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焼夷剤の種類

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使





使

使M69B



使

使

その他の種類

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使

使使



使使

 armor piercing incendiary; API

armor piercing; APhigh explosive incendiary/armor piercing ammunition; HEIAP

被害

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使






日本橋の欄干の焼夷弾跡(2010年12月10日撮影)
  • 同左(2010年12月10日撮影)
  • 人体への直撃による被害

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    焼夷弾は建造物などの目標を焼き払うための兵器であるが、子弾式(複数の焼夷弾を束ねてより大型の弾殻に収容し、投下後に分散して散布する方式(いわゆる「クラスター爆弾」)のものは小型の子弾が分離し大量に降り注ぐため、人体への直撃による即死の事例が多くの被災者の証言により伝えられている。

    例えば戦争を題材にしたアニメ・映画では、落下した焼夷弾が家屋や地面に激突し大爆発を起こし燃え上がる描写が多く見られる。実際には家屋や地面だけではなく、避難民の頭上に大量に降り注ぎ、子供を背負った母親や、上空を見上げた人間の頭部・首筋・背中に突き刺さり即死、そのまま燃え上がるという凄惨な状況が多数発生していた。

    不発弾事故

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    2008924M47915

    規制

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    特定通常兵器使用禁止制限条約の附属議定書3において、民間人や人口密集地付近の目標に対して使用することは禁止された。ただし、イスラエル韓国トルコなどは未締約である[1]

    第二次世界大戦に投入されたアメリカ軍の焼夷弾

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    M47A2

    4 1.8kg6T19

    M50

    4 1.8kg110M17500

    M76

    500480 218kg
     
    長岡空襲で使用されたM69子弾。新潟県立歴史博物館の展示。

    6 2.7kg

    M6918cm50cm2.4kg

    M69138M69E28E36E46E48500700m

    従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾。

    M74六角焼夷弾38本を束ねた「E48集束焼夷弾」として投下された。青森大空襲1945年7月28日)が、その実験場となり83,000本ものM74六角焼夷弾が降り注ぎ東北地方最大の被害を青森市に与えた。米国戦略爆撃調査団は「M74は青森のような可燃性の都市に使用された場合有効な兵器である」と結論している。

    「火の雨」に見える理由

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    姿使[2][3]

    “モロトフのパン籠”

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    元祖“モロトフのパン籠英語版”ことソ連製RRAB-3集束爆弾

    E46

    60""""

    ""[4]

    脚注・出典

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    (一)^ Where global solutions are shaped for you | Disarmament | States parties and signatories

    (二)^ 201532ISBN 978-4800305954 

    (三)^ .  (2019815). 2019922

    (四)^ How the Molotov Cocktail Got Its Name. NYTimes.com. 20181022

    関連項目

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