バクトリア
歴史
編集オアシス都市バークトリシュ
編集ゾロアスター教の中心地
編集ペルシア文明に大きな影響を与えたゾロアスター教の開祖であるゾロアスターは、古くからバクトリアの人だという伝説がある。この点については諸説あって不明だが、少なくともアケメネス朝時代にはバクトラがゾロアスター教の中心地の一つであったことは明らかである。また、ゾロアスターの年代についても諸説あるが、古いペルシアの伝説では、ゾロアスターはアレクサンドロスの侵入より258年前の人だとされている。彼は70歳で死んだといわれているので、もしこの伝説をとるならば、紀元前6世紀頃の人物であるといえ、この時代はちょうどアケメネス朝の初期にあたる[2]。
ペルシア人とサカ人の共同支配
編集紀元前6世紀のバクトリアの人口の主要部分、少なくともその支配階級はペルシア人とスキタイ人とによって構成されていたものと考えられるが、スキタイ系のサカ人がこの地域にペルシア人よりも早くから住んでいたことは、ヘロドトスや、その後のストラボンなどが伝えているバクトリアの習俗によっても知られる。サカ人に遅れてバクトリアに侵入し、これを征服したペルシア人は、サカ人やその他の先住民の支配者となったが、その数は多くはなかったので、険要な地を選び、城や砦を築いて住み着いた。彼らは、その軍事力と組織力によって原住民の社会秩序を維持するとともに、税を徴収していたものと思われる。ローマ時代の史料によると、バクトリアは7000人の貴族によって支配されていたという。また、ヘロドトスがしばしば「バクトリア人とサカ人」と並称させているところからみても、ペルシア人と先住のサカ人が共同して支配階級を構成していたものと思われる[3]。
アケメネス朝の支配下
編集アレクサンドロスの侵入
編集セレウコス朝
編集グレコ・バクトリア王国
編集張騫の西域訪問
編集クシャーナ朝
編集キダーラ朝
編集エフタル
編集吐火羅国
編集イスラーム王朝の支配
編集正統カリフの時代
編集654年頃にバスラ総督アブドゥッラー・イブン=アーミル麾下のアフナフ・イブン=カイス率いるアラブ軍がホラーサーン征服のためトハーリスターン周辺に侵攻した。このときバルフはアフナフと和平条約を結んでイスラーム側に帰順した。
ウマイヤ朝の時代
編集言語・文字
編集脚注
編集参考資料
編集- 『史記』(大宛列伝)岩波文庫ほか
- 『漢書』(西域伝)ちくま学芸文庫ほか
- 『後漢書』(西域列伝)岩波書店ほか
- 『隋書』(西域伝)
- 『北史』(西域伝)
- 『旧唐書』
- 『新唐書』
- 護雅夫・岡田英弘編『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』山川出版社、1990年
- 岩村忍『文明の十字路=中央アジアの歴史』講談社学術文庫、2007年。ISBN 4061598031
- 前田耕作『バクトリア王国の興亡』第三文明社〈レグルス文庫〉、1992年/ちくま学芸文庫、2019年。ISBN 4480099026
- 小松久男『世界各国史4 中央ユーラシア史』山川出版社、2000年。ISBN 463441340X
- ポンペイウス・トログス / ユスティヌス抄録『地中海世界史』合阪學 訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、1998年、ISBN 4876981078
関連項目
編集- グレコ・バクトリア王国
- 月氏
- クシャーナ朝
- ソグディアナ、マー・ワラー・アンナフル
- 大夏
- トハラ人
- ヘレニズム
- ホラーサーン
- ホラズム
- バクトリア・マルギアナ複合
- フタコブラクダ - シノニムの「bactrianus」は生息域がバクトリアと重なることから命名された。