ニコバル諸島
インド東部の島
歴史
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1754年から1756年にかけて、デンマーク東インド会社によって植民地化が試みられた。その後は中断と再開をくり返したが、マラリア感染などのため、1848年に植民地化は放棄された。
それらの間の1778年、オーストリアから東アジアへの貿易授業への後援と特権を得たイギリス東インド会社元社員のヴィルヘルム・ボルツ (Wilhelm Bolts) がニコバル諸島で土地を取得[1]。そこはのちにオーストリア政府から在外拠点として公認されたが、数年で放棄に至った[1]。
その後1868年にデンマークの領有権をイギリスが購入し、1869年には英領インドの流刑地となった。
第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけて日本軍が占領した︵日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領︶。
2004年12月26日に起こったスマトラ島沖地震で大きな被害を受けた。
島名の由来
編集地理
編集産業
編集住民
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人口42,026人︵2001年︶。65%が先住民︵ニコバル人、ションペン人︶で、35%がインドやスリランカからの移民である。
先住民のニコバル人はオーストロアジア語族のニコバル諸語を話し、Y染色体ハプログループO1b1系統が100%を占める[2]。
脚注
編集- ^ a b 大井知範『世界とつながるハプスブルク帝国 海軍・科学・植民地主義の連動』彩流社、2016年、ISBN 978-4-7791-2265-1、59ページ
- ^ Kumar et al(2007)Y-chromosome evidence suggests a common paternal heritage of Austro-Asiatic populations;BMC Evolutionary Biology 2007, 7:47 doi:10.1186/1471-2148-7-47
関連項目
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