: Guerra Civil Moçambicana19771992FRELIMORENAMOMNR
モザンビーク内戦
1977年5月30日 - 1992年10月4日(停戦)
場所 モザンビーク
発端RENAMOによる暴力的行動の継続
結果 停戦
衝突した勢力

FRELIMO
ジンバブエ・アフリカ民族同盟英語版(1979年まで)
ジンバブエの旗 ジンバブエ(1980年から)
タンザニアの旗 タンザニア
マラウイの旗 マラウイ(1987年から)

支援国:
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦(1975年−1991年)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
ルーマニアの旗 ルーマニア
 キューバ
ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア
東ドイツの旗 東ドイツ
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
ブラジルの旗 ブラジル
アンゴラの旗 アンゴラ
ザンビアの旗 ザンビア
ボツワナの旗 ボツワナ

RENAMO
ローデシア共和国の旗 ローデシア(1979年まで)
南アフリカの旗 南アフリカ共和国(1978年から)

支援国:
ジンバブエ・ローデシア(1979年−1980年)
マラウイの旗 マラウイ(1987年まで)
イスラエルの旗 イスラエル
西ドイツの旗 西ドイツ(1983年−1989年)
 ケニア
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス
フランスの旗 フランス
ベルギーの旗 ベルギー
指揮官

ジョアキン・アルベルト・シサノ
サモラ・マシェル 
ジンバブエの旗 ロバート・ムガベ

タンザニアの旗 ジュリウス・ニエレレ
マラウイの旗 ヘイスティングズ・カムズ・バンダ
アフォンソ・ドラカマ英語版
アンドレ・マツガイザ英語版 
戦力
80,000人
ジンバブエの旗20,000人
タンザニアの旗6,000人
20,000人
死亡者数:100万人以上の軍人・民間人が戦闘、飢饉などが原因で死亡している。

紛争勃発

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1974MNR[1]1975MNR[2]

MNRMNR[1]MNR[3]MNRRENAMO

国際的な動き

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FRELIMO側は南アフリカのアフリカ民族会議ソ連およびキューバから、RENAMO側は南アフリカ政府から武器を手に入れていた(どちらもAK47など共産圏製の銃器や兵器だったと言われている)。1984年にモザンビークと南アフリカの間でンコマチ協定にて不可侵条約が締結されてからは南アフリカ政府およびANC両方からの支援は打ち切られたと思われていたが、実際はどちらもそれぞれの勢力への支援を続けていた。

停戦

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FRELIMORENAMO199210調RENAMO5040201981調27RENAMO[4]

難民問題

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この内戦によって国民の3分の1が難民になり、隣国に避難した[5]と言われている。

地雷問題

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モザンビークはこのような内戦で多数の地雷が埋設され、現在最も地雷汚染の深刻な国だと言われている[6]

また、モザンビーク本国は1999年に地雷問題・対人地雷禁止条約(オタワ条約)に調印している。

脚注

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(一)^ ab(2008:658)

(二)^ II20084

(三)^ (2008:659)

(四)^ 調. AFPBB News. . (201982). https://www.afpbb.com/articles/-/3238083 202239 

(五)^ PDF - UNHCR Japan

(六)^ 2014  - BIG ISSUE ONLINE