ラサ島鉱業所

沖縄県沖大東島にあったリン鉱石鉱山

[1]1911192919321933194419182000182600

19932012
ラサ島鉱業所

1938年頃のラサ島全景

所在地
ラサ島鉱業所の位置(南西諸島内)
ラサ島鉱業所

ラサ島鉱業所

所在地島尻郡沖大東島
都道府県沖縄県
日本の旗 日本
座標北緯24度27分57秒 東経131度11分23秒 / 北緯24.46583度 東経131.18972度 / 24.46583; 131.18972
生産
産出物リン鉱石
生産量約18万2600t/年(1918年・最盛期)
歴史
開山1911年
採掘期間1911年 - 1945年
閉山1945年
所有者
企業ラサ島燐礦合資會社
⇒ラサ島燐礦株式會社
⇒ラサ工業株式会社
⇒東亜鉱工株式会社
ウェブサイトrasa.co.jp
取得時期1911年
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

概要

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調1902

1906191010191119112

調19115119135

19181826002000231925108300192812

193319381944

19441219451160

195641972使1979調350

地質学的特徴

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1604.341.19西[2]

[2]50-60[3]
 

[4][5][4][6][7]

91.510[8][9][10]

23[11]35[12]

191735.83.8[9]35.052.09[13]1933[10]

19111944160[14]1978調350[15]

恒藤規隆とリン鉱石

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恒藤規隆

調[16]

1880[2][18]1882調[19]12[20][21]

調[22]尿[23]

[24]

[25]

恒藤のリン鉱石探査

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18948調17[26][27][28][29]18951896調[30]

1900調調19014調調[29][31]

調調[32][33]

南鳥島でのリン資源発見と沖縄、台湾方面への着目

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190219027[34]

8[35]調調30[36]

退[37]18989調19015[38][39]19033[37][40]

[41]

ラサ島への着目

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[42][43]

[42][44]

ラサ島の開発権

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190091017[45]

1901511[3][39]18989調19019[38][45]

190366[39]190615[4][48]

肥料鉱物調査所の廃止と恒藤の退官

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調調1903125[49][50]

調調調[51][52][53]

調退1903125調退[52][54]

リン鉱石の発見から開発開始

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リン鉱石の発見と鉱業権争奪戦の開始

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19064調調[55]

[56][57]

調調調辿調[57][58]

初回の資源調査

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1907[59][5]調818[61]

9199913[6]調92427鹿[64]

[65]

混迷する情勢と日本産業商会の設立

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調19071910調[66][67][68][68][69][70]

西退19098[71][72][7][73]

191010[8][75][76][77]

第二回資源調査

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第二回資源調査時に設営された鉱業事務所。看板には「日本産業商会」の文字が見える。

[78]

191011調調3調61011辿調[79]

調調調調調調2[79]

外国資本参入計画の発覚と鉱業権問題の解決

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1910調[80]調[81]

[82]20[72][77]19111[82]

ラサ島燐鉱合資会社の設立と恒藤規隆のラサ島資源調査

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恒藤社長率いるラサ島リン鉱石資源調査団の鹿児島港出航光景。

1911228[80][83]

4調調調[80]調417鹿221910調[84]

1910調調[85]調調[80]
 

調調調使調退調[86][87]

[88][89]15[90]

調



[91][89]

調10調調15[92][93][93][94]

困難を極めた創業

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自らの目でラサ島がリン鉱石の大産地であることを確認したラサ島燐礦合資会社社長の恒藤であったが、創業時は困難の連続であった。後に恒藤は「ラサ島燐礦合資会社の時代は一言もってこれを評すれば悲劇を演じたりという他なく、まことに惨々たる有様にて終始」したと回顧している[95]

ラサ島鉱業所の開設と始業の困難

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初期のリン鉱石積み込み光景。

191151[96][97]

調[89]

10001000700[96][89]

3退[98]

台風による被害

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ビロウ森の伐採。

19117宿[9]2[100][101]
 

退[102][102][98]

101911[103]

施設建設の困難と続く台風の被害

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19122[104]71003[10]宿[105]使[106]

191293[107][108]

不買同盟とその対策

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[109][110][11][112]

[113]

35[114][101][115]

現地見学会と自前肥料工場の創業

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ビロウ森の伐採後のリン鉱石採掘。

2[12][117]

191273217[118]

19128[119]

[105]

8[111][120]10225[13][122][121]

19132[123]

ラサ島燐鉱株式会社の設立

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ビロウ森の中に建設された軌道。

1912919135[124]

1912360191716901500[125][126][127]

水不足による騒動

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[128]191211[129]

[130][131][132]

19133[133][134]2500[135][136]

120[14][134][137][138]

1916使使使[131][139]

[140][141]

[142]

台風の被害と相次ぐ海難

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[15][144]

[144][145][144][144][146]

コンクリート桟橋の建設

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ラサ島のコンクリート桟橋。

[128]19146[147][148]
 

19156[149][148]19157[150]

19163[151]

191310143[152]19154630100[153]

無線通信所と気象観測所の建設

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ラサ島無線電信局。

19138[154]
 

19146[146]19141215449191566[155][156]

1924[157]

[156]8[156][158]

各施設の台風対策強化

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191579宿[159]

191611[160]

衛生問題と食糧問題

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[161]

ハエ、ネズミ、ゴキブリの大量発生

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1914[162]1915[163][139]

便[162]

19151916使[164]

腸チフスの蔓延

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医務室内の光景。

[142]

191619151010191634[165][131]

500[16][144][167][168]191667[165]

宿[131][131][167]69[169]

宿[160]

脚気の流行と玄米食

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1913148[170]

1914[171][172]

[173]

[173]

沖縄出身者に対する労働問題と差別問題

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社員と鉱夫。

1914104[174][138]

12107810801232530253571015320[174]使[175][176]
 
宿

宿[177][178][139]調[179]

[175]23[180]

1914[181][180][181]

19154退[63][182]
 

[183][17][185][184][7][186]

[186][187]

1911[188][189][171][190][190][191]

使[192]1928319327[193][194]

リン鉱石産出体制の充実

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リン鉱石の露天掘りと鉱石運搬光景。

[195][196]

1913[144][197]1915[144][198]
 

[137]1915調35000[199][200][201]

19173調[202]

第一次世界大戦と全盛期

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リン鉱石の貯鉱場。

1914[203]191320191610[204][203][205]

[205]19181826002000[203][205]
 

342220003000710[206]

[207]

1919410[101][207][208]

戦後不況による苦境から休山へ

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戦後不況の到来と生産縮小

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1920581922112[205]717050601415[205][209][210]

[205][211]20[212]20[212]19223119221[205][213]

表層部のリン鉱石枯渇と深部のリン鉱石開発

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[214][215]19215宿[216]宿[214][217]

[211]1922[218][211]

19231[211]23[11][214]3192391.8[214][219]

430[218]調調1925145調370[220]

[218][221]65019251160[219]108300[14]

1925[222]

会社の事業整理と休山

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1927宿7[223]192812[224]

192946[225][226]調[18][228]

ラサ島鉱業所の再開

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1938年の操業再開時、ラサ島会館をバックに記念撮影。

退193051933[229]1931[230][231]1933[232]

19333調2調50001050[10][232]
 

6300[232]5193422000[10][232]

1933[233][234]

12[235]

リン鉱石輸入の減少とラサ島鉱業所

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ラサ島鉱業所事務所。

1933919344[236]

1934便[237][238]

1937416[19]3748623[238][242]

19371941[237][243]

[10][231][244][245]

193819443231[243]

ラサ島での労働、生活について

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リン鉱石を積んだトロッコをけん引するガソリンカー。

[233]

[246][247]

[248][249][250]

[251][252][251]10[253]12[252][254]
 

宿88106[255]宿[256]使[257][258][258][176][249][259]

[260]使[259][261]使[262]

[263][264]

ラサ島退去と閉山

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19428891944225416426220[265]

[266][267]

退退427257[265][268]

71883[14]929[269]

[270][271]

112398112836[272]

93[273][274]1227退[274][275]

9319451131221911[270][276]19111944160[14]

戦後のラサ島とリン鉱石資源

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815101214[274][277]

195119538[278]19564161972515使15180[279]

193719731012使1974330[280][281]198433000[282]19915[281]

197917調調350[15][283][284]

ラサ島鉱業所のリン鉱石採掘量

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リン鉱石産出量
年度 生産量(トン)
1911 1,379
1912 4,741
1913 15,980
1914 35,372
1915 40,800
1916 106,298
1917 110,726
1918 182,640
1919 117,470
1920 95,353
1921 30,704
1922 10,595
1923 22,978
1924 75,000
1925 108,308
1926 69,587
1927 43,272
1928 33,849
1933 4,507
1934 16,791
1935 28,223
1936 48,866
1937 68,745
1938 61,114
1939 48,284
1940 46,169
1941 34,549
1942 44,715
1943 61,319
1944 24,612
総計 1,592,856
  • 1929年から1932年までは休山、ラサ工業80年史記載の数値。
  • 産出量は各資料間で多少の違いがある。熊沢(1983)「恒藤規隆博士と日本の燐酸資源」(1983)では、総産出量1,642,549トン。小田部(1997)「リン鉱石とリン資源」(1997)では総産出量1,633,819トンとなっている。

脚注

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注釈

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(一)^ 191564851p.98[1]

(二)^ 18814718822調[17]

(三)^ 1898[46]

(四)^ 1910[47]

(五)^ 調退[60]

(六)^ 1915[62]191676[63]

(七)^ [57]

(八)^ 19102西50[74]

(九)^ [99]

(十)^ 19132[89]

(11)^ [111]

(12)^ 19122[116]

(13)^ 2[121]

(14)^ 144[136]

(15)^ 19128[143]

(16)^ 16[166]

(17)^ 宿[184]

(18)^ 1929[227]

(19)^ 19343[239]1941919446[240]19493[241]

出典

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(一)^ 851191564. 

(二)^ ab1993p.58.

(三)^ 1993pp.66-68.

(四)^ ab1997p.394.

(五)^ 1997pp.418-424.

(六)^ 1926p.16.

(七)^ ab1986p.653.

(八)^ 1940p.57.

(九)^ ab1925p.3.

(十)^ abcde1986p.687.

(11)^ ab1925p.4.

(12)^ 1925pp.2-3.

(13)^ 1925pp.76-77.

(14)^ abcd1993p.126.

(15)^ ab1983p.65.

(16)^ 1983p.28.

(17)^ 1980p.113.

(18)^ 1986p.36.

(19)^ 1983p.31.

(20)^ 1983pp.31-34.

(21)^ 1991p.68.

(22)^ 1983p.37.

(23)^ 1983pp.37-38.

(24)^ 1983pp.38-39.

(25)^ 1983p.39.

(26)^ 1983pp.39-40.

(27)^ 1986p.37.

(28)^ 1936p.9.

(29)^ ab1983p.42.

(30)^ 1983pp.40-41.

(31)^ 1986p.39.

(32)^ 1983p.43.

(33)^ 1986pp.40-42.

(34)^ 2012pp.45-50.

(35)^ 2012pp.41-44.

(36)^ 1936p.22.

(37)^ ab2012p.49.

(38)^ ab1903ap.695.

(39)^ abc1903bp.768.

(40)^ 2016pp.148-149.

(41)^ 1936pp.23-24.

(42)^ ab1919ap.26.

(43)^ 1936p.24.

(44)^ 1936pp.26-27.

(45)^ ab2012p.192.

(46)^ 2012p.191.

(47)^ 2012p.179.

(48)^ 1992p.438.

(49)^ 1983pp.43-44.

(50)^ 1986pp.42-43.

(51)^ 1936pp.24-25.

(52)^ ab1983p.44.

(53)^ 1986p.42.

(54)^ 1936p.26.

(55)^ 1936pp.27-28.

(56)^ 1936p.28.

(57)^ abc1926ap.41.

(58)^ 1936pp.28-29.

(59)^ 1936p.36.

(60)^ 1986p.43.

(61)^ 1936pp.36-37.

(62)^ 1917p.60.

(63)^ ab1917p.62.

(64)^ 1936pp.37-38.

(65)^ 1914ap.179.

(66)^ 1936pp.30-36.

(67)^ 1910pp.208-223.

(68)^ ab1910p.233.

(69)^ 1910p.230.

(70)^ 1936p.31.

(71)^ 1909pp.108-109.

(72)^ ab2012p.194.

(73)^ 1936p.29.

(74)^ 2005pp.317-318.

(75)^ 1936p.38.

(76)^ 1960p.40.

(77)^ ab1993p.20.

(78)^ 1910pp.230-232.

(79)^ ab1960pp.41-42.

(80)^ abcd1960p.42.

(81)^ 1936pp.39-40.

(82)^ ab1936p.40.

(83)^ 1993p.21.

(84)^ 1936pp.41-44.

(85)^ 1936pp.44-45.

(86)^ 1936pp.46-47.

(87)^ 1960pp.42-43.

(88)^ 1936pp.47-48.

(89)^ abcde1960p.43.

(90)^ 1991p.30.

(91)^ 1936pp.47-48.

(92)^ 1936pp.49-50.

(93)^ ab1993p.23.

(94)^ 1949p.44.

(95)^ 1917p.15.

(96)^ ab1936p.50.

(97)^ 2012p.204.

(98)^ ab1960pp.43-44.

(99)^ 1911p.3.

(100)^ 1917pp.15-18.

(101)^ abc1960p.44.

(102)^ ab1917pp.18-19.

(103)^ 1917p.18.

(104)^ 1912p.3.

(105)^ ab1917pp.25-26.

(106)^ 1917pp.15-16.

(107)^ 1917pp.27-28.

(108)^ 1936pp.54-55.

(109)^ 1949p.45.

(110)^ 1993p.25.

(111)^ ab1917p.27.

(112)^ 1936p.54.

(113)^ 1992p.429.

(114)^ 1925p.76.

(115)^ 1917p.20.

(116)^ 1912p.50.

(117)^ 1917p.21.

(118)^ 1917pp.21-23.

(119)^ 1917pp.23-25.

(120)^ 1992p.440.

(121)^ ab1936p.55.

(122)^ 1917p.28.

(123)^ 1917pp.31-32.

(124)^ 1917pp.30-32.

(125)^ 1917p.73.

(126)^ 1917pp.69-74.

(127)^ 1993p.35.

(128)^ ab1917p.29.

(129)^ 2008p.11.

(130)^ 1912p.51.

(131)^ abcde1917p.16.

(132)^ 2017p.652.

(133)^ 1980pp.289-290.

(134)^ ab1917p.49

(135)^ 2017pp.652-653.

(136)^ ab1986p.677.

(137)^ ab1917p.48

(138)^ ab2017p.653.

(139)^ abc1916p.73.

(140)^ 1916pp.70-71.

(141)^ 1915p.661.

(142)^ ab1919bp.20

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(270)^ ab1993p.127.

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(274)^ abc1993p.130.

(275)^ 1968p.161.

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(277)^ 1986pp.695-697.

(278)^ 1993p.235.

(279)^ 1986pp.702-704.

(280)^ 1993pp.236-237.

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参考文献

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  • 名護市史編さん委員会『名護市史本編・5 出稼ぎと移民3』、名護市役所、2008
  • 南島社「南島郷友」第2号『燐礦界の権威 恒藤博士と沖縄』、南島社、1933
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  • 渡邊生「ダイヤモンド」12(14)『ラサ島視察記(上)』、ダイヤモンド社、1924a
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関連項目

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