一色義遠

室町時代から戦国時代の武将

一色 義遠(いっしき よしとお)は、室町時代から戦国時代にかけての武将

 

凡例

一色義遠
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 吉原四郎
幕府 尾張知多郡分郡守護
主君 足利義政義尚義稙
氏族 一色氏(丹後一色家)
父母 父:一色義範[1]
兄弟 義貫政氏義遠[1]
義長[2]、養子:五郎?[1]
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生涯

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一色氏と嘉吉の乱

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1214406144131451

414609[3]41463[4]

応仁の乱

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1467西8

21468221470[4]

61474814769

その後

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文明9年(1477年)11月、西軍が解体され応仁の乱が終結し、文明10年(1478年)2月に一色氏は三河を文書で放棄、尾張知多郡も東軍に没収されたため、義遠は本拠の丹波に移った。しかし、丹後では旧武田被官の反乱が収まらず、明応7年(1498年)5月に惣領の一色義秀が戦死し嫡流が絶えると、義遠は一色義有に跡を継がせて一色氏の当主とした。没年は不明。

脚注

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(一)^ abc8220211-16 

(二)^ 2011http://itech38.co.jp/shigeyuki-tango/tangosyugo-umemoto.pdf 

(三)^ 

(四)^ ab

参考文献

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  • 河村昭一「一色氏の分国・分郡における守護・〈郡主〉在職期間」『南北朝・室町期一色氏の権力構造』戎光祥出版、2016年。

関連項目

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