三木鉄夫
日本の機械工学者・航空工学者
略歴
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1923年東北帝国大学卒業後、愛知時計電機航空機部門︵のちの愛知航空機︶で海軍関係の飛行機の設計製作に携わる。同社と独ハインケル社の提携により、ドイツ留学を経験。日本語による航空工学の著書第1号として、1932年﹁航空工学﹂(太陽堂︶を出版︵のちの第2号は川西航空機・小野正三より出版︶。1938年大阪帝国大学工学部に航空学科を創設し[1]、同大学教授。1953年工学博士︵大阪大学︶[2]。その後、大阪府立大学︵現‥大阪公立大学︶工学部機械工学科教授として航空コースを担当し、同大学航空工学科創設に協力[3]。同大学工業短期大学部長などを経て、大阪工業大学工学部機械工学科教授、機械工学教室を担当。1976年同大学名誉教授[4]。
大阪大学・大阪府立大学・大阪工業大学にて、初期の航空機械工学︵のちの航空宇宙工学︶研究・育成に貢献した。
主な所属学会は、日本機械学会、日本航空学会︵現‥日本航空宇宙学会︶、日本航空技術協会、大日本飛行協会︵現‥日本航空協会︶など。
主な著書
編集主な研究
編集脚注
編集- ^ https://www.nagare.or.jp/download/noauth.html?d=37-5_kaiko13.pdf&dir=118
- ^ https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000010625800-00
- ^ https://www.aero-osakafu-u.jp/ootori/鵬ニュースレター_31号.pdf
- ^ https://www.oit.ac.jp/japanese/oit/officer1.html
- ^ https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282680691178624?lang=ja
- ^ https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201002027904539978