三机村

日本の愛媛県西宇和郡にあった村

三机村(みつくえむら)は、1956年昭和31年)まで愛媛県西宇和郡にあったである。西隣の四ツ浜村と合併し瀬戸町となり、自治体としての歴史は閉じた。瀬戸町は平成の合併により<新>伊方町となっている。地域名としての「三机」は三机小学校などに残っている。

みつくえむら
三机村
廃止日 1956年6月1日
廃止理由 新設合併
三机村四ツ浜村瀬戸町
現在の自治体 伊方町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
西宇和郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 町見村四ツ浜村
三机村役場
所在地 愛媛県西宇和郡三机村字三机
座標 北緯33度27分25秒 東経132度15分00秒 / 北緯33.45681度 東経132.24994度 / 33.45681; 132.24994座標: 北緯33度27分25秒 東経132度15分00秒 / 北緯33.45681度 東経132.24994度 / 33.45681; 132.24994
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現在の西宇和郡伊方町の中部、佐田岬半島のほぼ中央に位置する農漁村であった。

地理

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西19553西

700


  • 古くは「御着江」とも書き、宇佐八幡の分霊が漂着した地とされる。

社会

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地域・集落

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8

66

行政

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役場は字三机におかれていた。

人口・世帯数

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  • 0904年(明治37年) 6103人、1006戸
  • 1913年(大正2年) 6917人、1080戸
  • 1921年(大正10年) 6619人、1039戸
  • 1954年(昭和29年) 5622人、1243戸

教育

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  • 三机小学校 当村域に現存[1]
1873年(明治6年)11月三机浦学校として開設、1882年(明治15年)4月から翌年の1月にかけて第一分校(塩成)、第二分校(大江)、第三分校(足成)が相次ぎ発足、尋常小学校、国民学校の時期を経て、学制の改革により1947年(昭和22年)4月三机小学校となる。三机村、瀬戸町、伊方町と町村合併による設置者の変遷を経て現在に至る。[2]
現在の三机小学校の所在地 愛媛県西宇和郡伊方町三机乙2515
1882年三机浦学校の第一分校として設置。2009年(平成21年)三机小学校に統合。これにより旧一村一小学校となる。
1977年(昭和52年)三机小学校へ統合
1977年(昭和52年)三机小学校へ統合
第二次世界大戦後の学制の改革により1947年(昭和22年)4月三机中学校発足。1978年(昭和53年)三机第二中学校を統合、1994年(平成6年)4月に瀬戸町内の2つの中学校である三机中学校と四ッ浜中学校とが統合、新たに瀬戸中学校となり、現在に至る。
参考 現在の瀬戸中学校の所在地 愛媛県西宇和郡伊方町三机乙3305番地1

歴史

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15






161015 - 
161217

17

1864 - 



1868 - 

18747 - 

18747 - 便

18758 - 西5190235

188821 - 



1889221215 - 6

189932 - 

189932 - [3]

190336 - 

190538 - 

190538 - 

190740 -  - 

19132 -  - 

193712 - [4]
196641 - 

194722 - 

195126 - 

19563161 - 
三机村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)
           町村制施行時
足成浦  ━━━┓
塩成浦  ━━━┫
三机浦  ━━━╋━━━ 三机村 ━━━━━━┓
大江浦  ━━━┫              ┃   合併、町制
志津浦  ━━━┫              ┃(昭和3061日)
小島浦  ━━━┛              ┣━━━ 瀬戸町
川之浜浦 ━━━┓                       ┃
大久浦  ━━━╋━━━ 四ツ浜村 ━━━━━┛
田部浦  ━━━┫
神崎浦  ━━━┛

(注記)瀬戸町の平成の合併の系譜については、瀬戸町又は伊方町の記事を参照のこと。



産業

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三机は佐田岬半島の海産物を中心とした物資の集散地として発展した。

漁業

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藩政期から漁がさかんで、また天然の良港である三机には愛媛県下2番目に缶詰工場まで設置され、の縛網は昭和初期には5統にのぼった。しかしながら、太平洋戦争を境に沿岸漁業は衰退の道を辿った。

農業

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退

商業

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三机は佐田岬半島の伊予灘側には珍しい天然の良港で、また藩政期には参勤交代の立ち寄り地となり、番所もおかれていた。明治以降も物資の集散地として発展した。回船問屋「魚屋」は200年も続いた老舗であったが、太平洋戦争による船舶徴用により、廃業してしまった。戦後、陸地の交通が発達するにつれて、良港を持つ有利さが失われ、村勢も衰退へと向かった。

交通

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便


名所

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出典・参考文献

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  • 『角川日本地名大辞典38愛媛県』

脚注

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  1. ^ 伊方町教育委員会の「伊方町学校再編計画(第二次)」令和5年(2023年)5月によると令和9年4月(2027年4月)を目途に三崎小学校への統合計画があり、実現すれば旧当村域に小学校は存在しなくなる。
  2. ^ 三机小学校ホームページ(えひめスクールネットより)https://mitsukue-e.esnet.ed.jp/ 沿革のページもあり https://mitsukue-e.esnet.ed.jp/history 
  3. ^ 現在の伊予銀行三机出張所の前身。なお三机出張所は現在も存続しているが、近傍の同行伊方支店内に移転しており、実態としては廃止に近い(いわゆる店舗内店舗)。なお、一般社団法人全国銀行協会の銀行変遷史データベースの「三机銀行」の項では前身も含め設立は1907年(明治40年)としている。https://s-opac.net/Opac/OuE-_cBuDY2FFDpl1TgIkz-R2Co/54ONpA0wkCSCcmdArjXMxjt0fC/description.html
  4. ^ [情報ランド]戦跡、慰霊碑 2001年07月11日 読売新聞 東京朝刊 20頁 写有 (全6,889字)

関連項目

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