ペーパーバック

書籍の形態のひとつ。表紙の装幀による区分
並製本から転送)

: paperback: softcover, softback

分類

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使使


一方では、デジタルブックと比較し従来の書籍をペーパーブックと表現する場合が見られるため、電子書籍全般を扱うコミュニティーなどでは解釈に注意を要する。

製本

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簡便な出版物であり、コストを抑えるため、のりで背を貼り付けた無線綴じや、雑誌などで見られる針金ホッチキス)で綴じる平綴じ中綴じを用いることが多く、ハードカバーの本より価格が安い。

歴史

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18使1919301950

ヨーロッパ

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1809年、カルル・クリストフ・トラウゴット・タウヒニッツがギリシャ・ラテン語のペーパーカバー本を出版。

1837年、クリスチャン・ベルンハルト・タウヒニッツ(男爵)が、ライプツィヒでタウヒニッツ版と呼ばれる英語ペーパーバックを発売。以後100年間、タウヒニッツ社が市場を独占。

1932年、ハンブルクのアルバトロス社が英語ペーパーバックに参入。18×11.1センチのポケットに入りやすいサイズで、ジャンル別にカバーを色分けするなど工夫を凝らした。タウヒニッツ社は経営状態が悪化し、アルバトロス社に吸収合併された。

1935年、イギリスのペンギン・ブックスが英語ペーパーバックに参入した。サイズや色分けなどは、アルバトロス社のアイデアを採用した。ヨーロッパでの販売権しかないアルバトロス社に対して、ペンギン・ブックスはイギリス連邦全体に販売することが出来た。6ペンスという薄利多売で、アルバトロス社との競争に勝利した。アルバトロス社は経営不振となり第二次大戦後、倒産した。

アメリカ合衆国

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1829年、ボストン知識普及協会が、ペーパーカバー本を出版した。以後、ペーパーバックの出版競争が繰り広げられた。1900年代に入るとペーパーバックの他に、パルプ・マガジンが流行した。

1939年、アメリカで初のペーパーバック専門出版社である、ポケット・ブックス社が設立された。同年、第二次世界大戦が始まった。前線の兵士に送るための兵隊文庫が大量に刊行され、またそれによって戦地で読書に親しんだ兵士らが戦後復員したことで、ペーパーバック産業は大きく成長した。

ポケット・ブックス社に続いて、米国ペンギン・ブックス、バンタム・ブックス、バランタイン・ブックスなど様々な会社が設立された。

1950年代に入ると、ハードカバーの出版社の子会社が、トレード・ペーパーバックの出版を始めた。

日本

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19381982

19701 131B6B6

1979920

19997

200211



20155P+D BOOKSB6[1]




洋書におけるペーパーバックの種類

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マスマーケット・ペーパーバック

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マスマーケット・ペーパーバック(Mass-market paperback)とは、廉価・小型のペーパーバックである。ハードカバーの再版から始まった。判型としてはイギリスのA-format(110mm×178mm)と、ほぼ同寸法のアメリカのPocketbook(4-1/4インチ×7インチ、約114mm×178mm)を指す[2]

アメリカでは1960年代までは、新聞や雑誌と同じような扱いで、ニュース・スタンドやドラッグストアで売られていた。1970年代、大型チェーン書店が積極的に取り扱った事で、一般的な小売書店でも売られるようになった[3]

トレード・ペーパーバック

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Trade paperback5-1/2×8-1/2140mm×216mm6×9152mm×229mmC-format135mm×216mm[2]



1950[3]

B-format

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130mm×198mmA-formatC-format5.12×7.8[2]

脚注

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  1. ^ 日本経済新聞 2015年4月12日 朝刊 読書面
  2. ^ a b c Why size matters”. The Guardian (2001年8月11日). 2016年8月29日閲覧。
  3. ^ a b 『アメリカの出版・書店』

参考文献

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関連項目

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