中原街道

相模国平塚と武蔵国江戸を結んでいた街道

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中原街道道標

歴史

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[][][]

[1][2]

[3]宿[]
 
殿

159018[4]

江戸時代

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[1]殿殿

殿駿[5]1604[]

 - 沿使[]


宿場

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中原街道は脇街道であったため、東海道のような宿駅は設けられず、荷物等の受け渡しを行う継立場が下記の通り設けられた(なおこの継立場を中原街道の宿場とする見解もある[誰によって?])。

現在の経路

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1245殿

中原街道ギャラリー

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脚注

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注釈

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  1. ^ 江戸時代に東海道は神奈川を経由し、多摩川は六郷の渡し(川崎)で渡るようになった。

出典

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  1. ^ 北倉庄一 1998, pp. 174–176.
  2. ^ 品川区立品川歴史館編『平成22年度特別展・中原街道』2010年 6-12頁
  3. ^ 横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センター 「中原街道の整備事業に伴う発掘調査の質問に対する回答
  4. ^ 品川区立品川歴史館編『平成22年度特別展・中原街道』2010年 14-17頁。但し、大田区史編さん委員会編『大田区史』中巻 1992年 793頁の様に、家康の入府路を池上・新井宿(現・大田区中央)を経る道と考える説もある。
  5. ^ 中島義一「徳川将軍家御殿の歴史地理的考察(第1報)-南関東の場合-(多田文男先生喜寿記念)」『駒澤地理』14、駒澤大学、177-197頁、1978年。

参考文献

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  • 北倉庄一『中世を歩く』1998年2月25日。ISBN 978-4990016531 
  • 大田区史編さん委員会編『大田区史』中巻 1992年。
  • 品川区立品川歴史館編『平成22年度特別展・中原街道』2010年。
  • 中島義一「徳川将軍家御殿の歴史地理的考察(第1報)-南関東の場合-(多田文男先生喜寿記念)」『駒澤地理』14、駒澤大学、177-197頁、1978年。

関連項目

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外部リンク

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