中川一郎

日本の政治家 (1925-1983)

  1925︿1439 - 1983︿5819[1] 493535

日本の旗 日本政治家

中川 一郎

なかがわ いちろう

中川一郎(農水相時代)

生年月日 1925年3月9日
出生地 日本の旗 日本 北海道広尾郡広尾町
没年月日 (1983-01-09) 1983年1月9日(57歳没)
死没地 日本の旗 日本 北海道札幌市中央区
出身校 九州帝国大学農学部
前職 北海道開発庁官吏
衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
配偶者 妻・中川貞子
子女 中川昭一
親族 中川文蔵(元広尾町議会議員)
・中川正男(元広尾町議会議員)
弟・中川義雄(元参議院議員)
長男・中川昭一(元衆議院議員)

日本の旗 第35代 科学技術庁長官

内閣 鈴木善幸内閣
鈴木善幸改造内閣
在任期間 1980年7月17日 - 1982年11月27日

日本の旗 初代 農林水産大臣

内閣 福田赳夫改造内閣
在任期間 1978年7月5日 - 1978年12月7日

日本の旗 第49代 農林大臣

内閣 福田赳夫改造内閣
在任期間 1977年11月28日 - 1978年7月5日

日本の旗 衆議院議員

選挙区 旧北海道5区
当選回数 7回
在任期間 1963年11月22日 - 1983年1月9日
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生涯

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生い立ち

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14[3][3][4][3]10[2][2][2]

学生時代

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2[2][2]

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1947229[1][6]

[6]

北海道開発庁時代

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195126281953

75[8]

政治家秘書として

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大野は1959年(昭和34年)、中川に「役人を辞めて俺の秘書になれ」と要請した。父・文蔵は大反対したが、大野に惚れ込んだ中川は12年間の役人生活に別れを告げ、身分の不安定な政治家秘書になる決意をしたが、文蔵は「こんな馬鹿な息子とは思わなかった。まあ交通事故で死んだと思って諦めるから、おまえの好き勝手にしろ」と突き放した[8]

政治家として

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196338530西

1970197348
 

197752197875

197853126[9][10][11]

197954

19825710506

晩年

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19835819101022[12]257

19[13]

19[14][15] [16]

人物・逸話

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性格

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一般には「明るい中川一郎と怖い中川一郎の2人がいる」と言われていた[17]。一方、中川を良く知る元秘書の鈴木宗男は、豪快さと繊細さが真の二面性と語っている[17]

愛称

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 1979, p. 109-110

思想

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中川は自他ともに認める熱烈な国粋主義者で、反共主義者だった[18]

憲法9条改正論者

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農林水産大臣であった1978年(昭和53年)10月6日、週刊誌などでの発言で解任された栗栖弘臣統合幕僚会議議長の「超法規発言」について、衆議院予算委員会で民社党大内啓伍から見解を求められ、「憲法についても改正すべきだという議論があるということも十分耳を傾けなければならぬ」と述べた[19]

ペルソナ・ノン・グラータ

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CIAの諜報活動により、上記のように表向きは反共を唱えながらも裏では親ソビエト政権の樹立を画策していたと見なされ、1983年1月首相の名代としてのアメリカ合衆国訪問に際し「ペルソナ・ノン・グラータに相当する」として入国拒否を通告された[20]。こうしたことが彼の死にまつわる疑惑を形成することにもなった。

中川と酒

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便便尿便[21]

便 1979, p. 226




自殺説と他殺説

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13[22]2

 ()

 1985, p. 251

使KGB



2010101975710019768451982[23]

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妻・貞子との関係

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1951267914西42姿[25]



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[28][28]

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その他

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1988633[30][16]

著作

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論文

家族・親族

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中川家は富山県西礪波郡福光町(現南砺市)、北海道広尾郡広尾町[31]東京都と移動している。

実家

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西197853[32]使[4]




[2]

5







自家

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他家

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脚注

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注釈

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  1. ^ 昭和22年(1947年)10月1日 九州帝国大学は九州大学と改称( 九州大学農学部-沿革-Archived 2010年3月29日, at the Wayback Machine.
  2. ^ 中川が自殺したことを指す。

出典

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(一)^  - 

(二)^ abcdefgh 1985, p. 73.

(三)^ abcdef 1979, p. 239.

(四)^ abc 1979, p. 240.

(五)^ ab 1979, p. 241.

(六)^ ab 1985, p. 74.

(七)^  1985, p. 246-247.

(八)^ ab 1985, p. 76.

(九)^    (PDF). 20071082013817 

(十)^  1985, p. 103.

(11)^  1985, p. 104.

(12)^ !!20017ISBN 978-4331508022 

(13)^       p.657658

(14)^       p.658

(15)^  1985, p. 132.

(16)^ ab 098  11 1983311 

(17)^ ab 2012, p. 52.

(18)^  1985, p. 102.

(19)^ 85  5 (53.10. 6) 

(20)^ 2002424-26ISBN 978-4104536016 

(21)^  1985, p. 86.

(22)^       p.661

(23)^ . . (20101022). http://www.tokachi.co.jp/news/201010/20101022-0006971.php 201531 

(24)^ 54 []

(25)^  1985, p. 139.

(26)^  1985, p. 41-42.

(27)^  1985, p. 131.

(28)^ abcdef 1985, p. 141.

(29)^  1985, p. 140-141.

(30)^    ︿2005535ISBN 978-4796646208 

(31)^  2012, p. 49.

(32)^  1985, p. 150.

(33)^  1985, p. 194.

参考文献

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 19798ASIN B000J8FIEQ 

︿20126ISBN 978-4166608645 

19852ISBN 978-4794202123 

  19839  ISBN 4-87620-014-9

関連項目

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関連人物

演じた俳優

外部リンク

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公職
先代
農林大臣を廃止→
  農林水産大臣
初代:1978年
次代
渡辺美智雄
先代
鈴木善幸
  農林大臣
第49代:1977年 - 1978年
次代
廃止→農林水産大臣
先代
長田裕二
  科学技術庁長官
第35代:1980年 - 1982年
次代
安田隆明
先代
長田裕二
  原子力委員会委員長
第35代:1980年 - 1982年
次代
安田隆明