中村遊廓(なかむらゆうかく)は、大正時代以降、愛知県名古屋市中村区に作られた公許の娼家が集まる遊廓があった地域である。

1975年時点の中村遊廓跡。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
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地図

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8 km

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2

1

  

名古屋周辺の遊廓

1

旭廓

2

中村遊廓

3

稲永遊廓

現在当地は、名古屋市内唯一のソープランド集中地区としても知られる。

中村遊廓成立以前の名古屋の遊廓

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西宿西宿

18747西187585

187698800

1905381731618[1]

189225[2]19124574[3][1]


旭廓から中村遊廓への移転と繁栄

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戦災前の中村遊廓
左方の遊里ヶ池が埋め立て中である
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

3162010434619209311970019231241[1]41寿5[4]

1925147559402071[1]193712138[1]147[4]20001330調12449084.5%[5]19343276241700

38[1]

71250[6]


遊廓の構造・運営法

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道路となった中村遊廓の堀跡。遠方にはJRセントラルタワーズ。(2009年6月)
   
料亭 稲本(2013年5月)
長寿庵(2013年5月)



[5]

[1]56使

[7]194621[8][5]

30[4]4寿   2004寿2014[9]

12[4]

娼妓

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中村遊廓の人口ピラミッド1937年(昭和12年)当時。

19371219382000221920222021

[5]

戦中

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日中戦争勃発(1937年〈昭和12年〉)以後、次第に戦時体制が強化され、中村遊廓への客足も年々少なくなっていった。日米開戦後の1943年(昭和18年)、中村遊廓はついに企業整備を余儀なくされ、娼家わずかに19軒、娼妓は220人に縮小された。そして休業中の娼家は、三菱航空・三菱発動機・大同製鋼といった軍需工場の寄宿舎・寮施設に早代わりして、廓の情趣は失われてしまった。当時名古屋は、軍需工場工員の収容力飽和点に達し、特殊建物を転用しなければ多数の工員を抱擁することができない状態だった[1]

戦後・名楽園時代

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5519[8][1][10]

1945201215[1]

19462122322191945209214[1][5]



19532881900[1]

[4]1230

売春防止法施行から現在まで

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旧廓内設置の新大門商店街シンボルアーチ(2009年7月)

19583341140102011015333461[11]1973481118148[12]

1970452009

20092110

19913

周辺関連施設

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遊里ヶ池

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西[1][13][14]

193510[13]193712

20061820092111西西[15]

愛知県立中村病院

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西2190033101925141948239使2528尿[1][5]


素盞男(すさのお)神社

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西11

歌謡

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  • 廓小唄[4]
  • 名楽園音頭[1]
  • 恋の五丁町[16]

沿革

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  • 1923年(大正12年)4月1日:大須旭廓が中村に移転。以後中村遊廓と呼ばれるようになる。
  • 1925年(大正14年):愛知県立中村病院開院。
  • 1928年(昭和3年):花魁道中開催。
  • 1933年(昭和8年):花魁道中開催。
  • 1937年(昭和12年)頃:最盛期。
  • 1937年(昭和12年):遊里ヶ池跡地に日本赤十字社愛知県支部名古屋病院(通称:中村日赤)開院。
  • 1945年(昭和20年)9月:名楽園と改称。
  • 1958年(昭和33年)1月:売春防止法施行に先立ち、自主転・廃業に踏み切る。
  • 1969年(昭和44年)10月:廓中心部にほていや中村ショッピングセンター開店(現在のピアゴ中村店)。
  • 1993年(平成5年)10月:廓内の4建築物が名古屋市の都市景観重要建築物に指定される。
  • 2005年(平成17年):ジュディ・オングが廓内の料亭を題材にした版画「紅楼依緑」で第37回日展特選を受賞[17]

交通アクセス

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 5

7

JR西 西20

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『中村区史』中村区制十五周年記念協賛会(1953年)
  2. ^ 新修名古屋市史編集委員会, p. 9.
  3. ^ 新修名古屋市史編集委員会, p. 10.
  4. ^ a b c d e f 稲川勝次郎『歓楽の名古屋』趣味春秋社(1937年)
  5. ^ a b c d e f 神崎宣武『聞書遊廓成駒屋 不思議な場所のフォークロア』講談社(1989年)
  6. ^ 島洋之助『百万・名古屋』名古屋文化協会(1932年)
  7. ^ 名古屋航空写真刊行会『鯱 空から見た戦後40年の変貌』株式会社航測写真センター(1987年) P248 昭和11~17年撮影とされる空中写真が掲載。埋め立て中の遊里が池も写っている
  8. ^ a b 写真名:USA-M158-A-6-12(作業名:USA コース番号:M158-A-6 写真番号:12)など
  9. ^ “名古屋市:都市景観重要建築物等指定物件”. 住宅都市局都市計画部都市景観室 (名古屋市). (2014年11月20日). https://www.city.nagoya.jp/kankou/category/358-1-0-0-0-0-0-0-0-0.html 2014年11月28日閲覧。 
  10. ^ 国土地理院所有1947年7月米軍空中写真 写真名:USA-M372-46(作業名:USA コース番号:M372 写真番号:46)右端部分など
  11. ^ 中部日本新聞 1958年4月3日 特集記事
  12. ^ 『PLAY NAGOYA』社団法人 名古屋タイムズ社開発本部(1973年)
  13. ^ a b 『病院四十年誌』名古屋第一赤十字病院(1977年)
  14. ^ 五万分一地形図『名古屋北部』陸地測量部(昭和7年第三回修整測図)ほか
  15. ^ 中日新聞 平成21年1月19日記事
  16. ^ 『中村区誌』中村区制施行50周年記念事業実行委員会(1987年)
  17. ^ 古川美術館分館爲三郎記念展覧会情報”. 古川美術館ホームページ. 2021年12月29日閲覧。

参考文献

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  • 新修名古屋市史編集委員会 編『新修名古屋市史』 第六巻、名古屋市、2000年3月31日。全国書誌番号:20106426 

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯35度10分14.04秒 東経136度51分58.19秒 / 北緯35.1705667度 東経136.8661639度 / 35.1705667; 136.8661639