二条為氏
1222-1286, 鎌倉時代中期の公卿、歌人。藤原為家の長男。官位は正二位・権大納言。勅撰集﹃続後撰和歌集﹄以下に230余首入集。御子左流二条家祖︵摂家二条家とは別︶ 和歌の流派二条派。
二条 為氏 | |
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時代 | 鎌倉時代中期 |
生誕 | 貞応元年(1222年) |
死没 | 弘安9年9月14日(1286年10月3日) |
改名 | 為氏→覚阿(法名) |
別名 | 藤原為氏 |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇→後宇多天皇 |
氏族 | 藤原北家長家流御子左家 |
父母 | 父:藤原為家、母:宇都宮頼綱の娘 |
兄弟 | 為氏、為教、為顕、為相、為守 |
妻 | 飛鳥井教定の娘、藤原重名の娘 |
子 | 為世、為雄、為実、為言他 |
生涯
編集人物
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寛元元年︵1243年︶﹃河合社歌合﹄以下、多くの歌合に出詠し、また﹃宝治御百首﹄﹃弘長百首﹄などを詠進する。亀山上皇の信任が篤く、その勅を受けて弘安元年︵1278年︶に﹃続拾遺和歌集﹄を奏覧した。他にも﹃続後撰和歌集﹄以下の勅撰和歌集への200首以上の入首を始めとして、宇都宮二荒山神社へ奉納された﹃新式和歌集﹄︵宇都宮氏とその関係者の詠歌を集めたもの︶以下の私撰和歌集にも多くの和歌が残る。その歌風は平明優艶と評される。﹃大納言為氏集﹄は、為氏と長男為世の詠歌を集めた後世の他撰集。連歌も能くした。文永7年︵1270年︶10月~12月の自筆日記﹁為氏卿記﹂が冷泉家時雨亭文庫に蔵されている。
同時代の他の公卿の日記によれば、為氏は廷臣としても甚だ有能だったらしく、公事に精勤している様子がわかる。また、若年期からしばしば外祖父の本拠地である下野国宇都宮に下向し、関東武士とも親交を結んだという。
系譜
編集- 養子:源承 - 実は藤原為家の子、法眼
- 養子:慶融 - 実は藤原為家の子、法眼
参考文献
編集- 平野邦雄・瀬野精一郎編『日本古代中世人名辞典』吉川弘文館、2006年
脚注
編集関連項目
編集- 十六夜日記 - 執筆の背景には阿仏尼と為氏の争いがある。