仙崎
日本の山口県長門市の広域地名
歴史
編集せんざきちょう 仙崎町 | |
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廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 仙崎町、深川町、通村、俵山村 → 長門市 |
現在の自治体 | 長門市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方 |
都道府県 | 山口県 |
郡 | 大津郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
9,664人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 深川町、三隅町、通村 |
仙崎町役場 | |
所在地 |
〒759-4106 山口県長門市仙崎1374 |
座標 | 北緯34度23分30.9秒 東経131度11分58.0秒 / 北緯34.391917度 東経131.199444度 |
特記事項 | 所在地は現・長門市役所仙崎出張所の住所 |
ウィキプロジェクト |
●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制施行により、通浦・瀬戸崎浦の区域をもって仙崎通村が発足。
●1899年︵明治32年︶4月1日 - 仙崎通村のうち大字通浦が分立して通村となる。残部は改称して仙崎村となる。
●1914年︵大正3年︶4月15日 - 仙崎村が町制施行して仙崎町となる。大津郡では最も早い町制施行だった。
●1945年︵昭和20年︶9月2日 - 太平洋戦争終戦に伴う引き揚げ港として仙崎港が使用される。
●1954年︵昭和29年︶3月31日 - 仙崎町が通村・深川町・俵山村と合併して長門市が発足。同日仙崎町廃止。同市大字仙崎となる。
引き揚げ港
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太平洋戦争終戦後、海外邦人がかつての領土から本土へ引き揚げるにあたり、かつて関釜連絡船として就航していた興安丸が母港として釜山と仙崎・博多港を往復したことから、仙崎港は引き揚げ港として知られることになる。仙崎港で受け入れた引き揚げ者は413,961人で、博多港・佐世保港・舞鶴港・浦賀港に次ぐ5番目の人数で、葫蘆島、上海、釜山からの上陸者が多かったという[1]。逆に朝鮮、台湾など祖国へ帰還する在日外国人の送り出し港としての役目も果たしており、送り出し人数339,548人は博多港に次いで2番目に多い人数である。
1995年︵平成7年︶には、引き揚げ50周年を記念した行事も行われ、記念碑の建立や記念列車︵仙崎駅 - 下関駅︶の運転が行われた。
仙崎漁港
編集金子みすゞ
編集交通
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1930年に開業した仙崎駅があり、山陰本線の支線︵通称・仙崎線︶で長門市駅とつながっている。終戦直後は全国各地へ引き揚げ者を運ぶ列車が運行されたが、現在は仙崎駅〜長門市駅間で列車が往復運転しているほか、仙崎から美祢線にも直通している。
本土と青海島を結ぶ県道青海島線青海大橋︵全長260m︶がかかる。1965年︵昭和40年︶10月完成。当初は歩道なし2車線の橋であったが、1987年︵昭和62年︶6月16日、クレーン船が青海大橋下を通過しようとした際に桁下高を確認しなかったクレーン船が橋桁に衝突する事故が発生。損傷した西側の桁を撤去し、並列に1車線分の橋桁を架ける手法で新たに歩道を設置し、1991年︵平成3年︶7月に復旧を行っている。
その他
編集脚注
編集関連項目
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●和っこの金メダル - NHK朝の連続テレビ小説第43作︵1989年10月〜1990年3月放送︶。ヒロインが仙崎出身の設定で、物語の前半では仙崎でのロケも行われた。
●心の色 - 作詞の大津あきらが、実家のある仙崎近くの日本海に沈む夕日に感動して作ったと言われている。仙崎の海岸沿いにはこの曲の歌碑と、歌唱の中村雅俊のコメントを記した碑が建立されている。
●道の駅センザキッチン - 仙崎の﹁リビング・ダイニング・キッチン﹂をコンセプトに建設された道の駅︵交流拠点施設︶。
●さるかめ合戦 - 民話
外部リンク
編集- 山口県大津郡仙崎町 (35B0080006) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ