俘囚

大和朝廷へ帰服した蝦夷




移配俘囚

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79

[1]







調8123

9

87021550[2][3]

9813橿875883

8979

奥羽俘囚

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 ()



1943 - [4]

俘囚となった和人

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続日本紀神護景雲3年(769年)11月25日条に、元々は蝦夷ではないのに俘囚となってしまった例が記述されている。陸奥国牡鹿郡の俘囚である大伴部押人が朝廷に対し、先祖は紀伊国名草郡片岡里の大伴部直(あたい)といい、蝦夷征伐時に小田郡嶋田村に至り、住むようになったが、その子孫は蝦夷の捕虜となり、数代を経て俘囚となってしまったと説明し、今は蝦夷の地を離れ、天皇の徳の下で民となっているので、俘囚の名を除いて公民になりたいと願い出たため、朝廷はこれを許可したと記される。

神護景雲4年(770年)4月1日条にも、父祖は天皇の民であったが、蝦夷にかどわかされ、蝦夷の身分となってしまったという主張があり、敵である蝦夷を殺し、子孫も増えたため、俘囚の名を除いてほしいと願い出たため、朝廷がこれを許可している。

脚注

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(一)^  2 p.463.

(二)^ 421998930ISBN 978-4634324206

(三)^ | 2008294

(四)^ 1996ISBN 4062580691

関連項目

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