倉敷県
概要
編集沿革
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●1868年
●7月5日︵慶応4年5月16日︶ - 新政府が窪屋郡倉敷町︵現在の岡山県倉敷市本町7番2号、倉敷アイビースクエアの位置︶の倉敷代官所に倉敷県を設置。
●7月12日︵慶応4年5月23日︶ - 高松藩より讃岐国の小豆島付近の島々を編入。
●1871年
●3月25日︵明治4年2月5日︶ - 廃藩となった多度津藩を編入。
●11月17日︵明治4年10月5日︶ - 讃岐国の管轄地域を丸亀県に移管。
●12月26日︵明治4年11月15日︶ - 第1次府県統合により備中国、備後国の11県が統合して深津県︵のちに小田県と改称︶を設置。同日倉敷県廃止。ただし、備後国甲奴郡は広島県に編入された。
管轄地域
編集- 美作国
- 備中国
- 都宇郡のうち - 39村(倉敷支配所13村、旗本領26村)
- 窪屋郡のうち - 18村(倉敷支配所7村、旗本領9村)
- 賀陽郡のうち - 15村(倉敷支配所5村、旗本領3村、備中松山藩領6村、寺社領1村)
- 浅口郡のうち - 13村(倉敷支配所10村、旗本領1村、松山藩領2村)
- 小田郡のうち - 57村(倉敷支配所21村、旗本領5村、一橋徳川家領31村)
- 後月郡のうち - 34村(倉敷支配所1村、大森代官所2村、旗本領8村、一橋徳川家領27村)
- 哲多郡のうち - 28村(倉敷支配所11村、松山藩領17村)
- 阿賀郡のうち - 29村(倉敷支配所19村、旗本領5村、松山藩領5村)
- 上房郡のうち - 12村(一橋徳川家領9村、松山藩領3村)
- 川上郡のうち - 39村(倉敷代官所6村、大森代官所13村、旗本領14村、松山藩領6村)
- 備後国
- 讃岐国
なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。
歴代知事
編集脚注
編集関連項目
編集先代 倉敷代官所 (美作国、備中国、備後国内の 幕府領・旗本領) 多度津藩 |
行政区の変遷 1868年 - 1871年 |
次代 深津県(備中国) 広島県(備後国) 香川県(讃岐国) |