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風の三郎神社 | |
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風の三郎神社 | |
所在地 | 長野県中川村大草黒牛 |
位置 | 北緯35度39分27秒 東経137度58分38秒 / 北緯35.65750度 東経137.97722度 |
主祭神 |
級長津彦命 級長戸辺神 |
創建 | 不明 |
風の三郎神社(かぜのさぶろうじんじゃ)は、長野県中川村大草黒牛にある神社である。
概要
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允恭天皇のとき嵐が五日続いた。
そこで大御食社神に祈ると﹁大草里黒牛に坐ます風の神の祟りなり。 この神を祀らば穏ひならむ﹂と給ったので、供物を捧げ称辞申し挙げたところ、七日の次の日に穏やかになった。︵美しの杜社伝記︶
これらのことから、縄文の時代から﹁風の神﹂が存在したことがわかる。
風穴が、神社の上方にある。
祭神
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龍田大社の社伝や祝詞では、志那都比古神︵しなつひこのかみ︶、志那都比売神︵しなつひめのかみ︶とあり、志那都比古神は男神、志那都比売神は女神とされる。
記紀以前の古伝によると、シナトベ︵級長津彦命︶は、国常立尊から別れ生まれた、火水風の災いから人の生活を守る八将神の一人で、﹁風を治める神﹂と特化された神である。
古事記・日本書紀では、神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれた神で、風の神であると記述している。
伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮︵かざひのみのみや︶、外宮の別宮に風宮があり、どちらも級長津彦命と級長戸辺命を祀っている。
歴史
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言い伝え
●地元の言い伝えでは、風の神は獅子が嫌いで、神楽獅子や越後獅子が宮の入坂より奥へ上がったことがなく、坂から上に登れば暴風を起こすと言う。明治5年、岩穴に入り粗末に扱ったため大暴風になったと伝わる。
古記録
●﹁建御名方命 諏訪に到り給いとき 大草に到座 大久延建男命と云う者あり﹂ と、﹁百家系図稿・小町谷系図﹂に記されている。このことから建御名方命が諏訪に来る前からこの地に大久延建男命なる人物がいたことが推察される。
●﹁美しの杜伝記﹂によると、﹁允恭天皇の御代、秋文月、十一日より 嵐風 疾︵とき︶雨降りて 五日五夜 来よりて 小止まず。故に 八十上津彦、大御食ノ社 神の前に御祈りするに 神 告げて詔り給はく、﹁大草ノ里 黒牛に坐ます 風の神の祟りなり。 この 神実︵かみざね︶を祀らば 穏︵おたひ︶ならむ﹂と、現︵おつつ︶に 詔り給えり。大草ノ里の長 武彦、岩瀬、阿智ノ宮主 牛足彦と共に議りて、種々の物を捧げ奉りて 称辞︵たたえごと︶申し給ひしかば、風なぎ 雨 止みて 穏になりけり。七日の次の日 空晴れて 日の御影 明らかなり。﹂すなわち、中川村大草黒牛に﹁風の神がいます﹂とある。
●昭和16年(1941)﹁風三郎神社﹂の碑が黒牛耕地十五人によって建てられた。
遺跡
編集- 中川村の天竜西側には縄文早期(約1万年前)の遺跡が存在する。
- 天竜東地区では縄文早期末の土器片が発見されている。
- 隣接する美里地区には縄文遺跡(谷田遺跡)が発掘されているが、黒岩地区では圃場整備の遅れなどで、それ以前の遺跡が葬られた可能性が大きい。
これらのことから「建御名方命 諏訪に到り給いとき 大草に到座 大久延建男命と云う者あり」 という古記録が裏付けされると推定できる。
「伊勢津彦」と「風の三郎伝説」の考察
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伊勢津彦
●﹁伊勢津彦﹂は風の神であり、むかし信濃国へ渡ったという話がある。
﹃伊勢国風土記﹄逸文には、﹁神武が派遣した天日別命に﹁国土を献上するか﹂と問われ﹁否﹂と答え、伊勢を風濤に乗じて自ら去った。﹂とあり、その後 補の文に﹁近くは信濃国にいる﹂とある。
●江戸の国学者・伴信友は﹃倭姫命世記考﹄でこう述べている。
﹁伊勢津彦は出雲神で伊勢を領していた。建御名方神は一旦伊勢津彦を頼って伊勢に逃れ、その後信濃に去った。だから伊勢津彦は、その後に信濃に逃げられた。﹂
●木曽山脈には﹁風越山﹂と名が付く山が二つある。風の神︵伊勢津彦︶がここを通って伊那谷へ来たと推察される。
風の三郎伝説 ●福島県会津若松市大戸岳の岩場に﹁風の三郎社﹂がある。 ●新潟県南魚沼郡湯沢町には、風袋を背負った風神の石像が二体あると言う。 ●富山県下にはふかぬ堂と称する風神堂が十数箇所あり、八尾町に﹁おわら風の盆﹂が伝わる。 ●山梨県北杜市高根町清里樫山地区に﹁風の三郎社﹂がある。甲斐国史︵1814年︶に、﹁八ヶ岳に風ノ三郎ガ岳がある﹂と記されており、八ヶ岳おろしのことを﹁三郎風﹂と言ったと伝わる。 ●長野県南佐久郡南牧村﹁風の三郎社﹂、今は台座だけが残っているという。 ●信濃諏訪神は風神。﹁日本書紀﹂持統天皇五年八月二十三日﹁使者を遣わして、竜田風神、信濃の須波(諏訪)水内等の神を祭らしむ﹂とある。持統天皇が風神・竜田神社と信濃諏訪神に使いを派して祭らせて風封じをしていると言う。 ●風の三郎伝説は、福島・新潟・長野県などにある。 ●宮沢賢治作品には、初期の﹁ひかりの素足﹂、中期の﹁イーハトーヴ農学校の春﹂﹂、また﹁風の又三郎﹂に﹁風の三郎﹂伝承からと思われる題材が使われている。
風の三郎伝説 ●福島県会津若松市大戸岳の岩場に﹁風の三郎社﹂がある。 ●新潟県南魚沼郡湯沢町には、風袋を背負った風神の石像が二体あると言う。 ●富山県下にはふかぬ堂と称する風神堂が十数箇所あり、八尾町に﹁おわら風の盆﹂が伝わる。 ●山梨県北杜市高根町清里樫山地区に﹁風の三郎社﹂がある。甲斐国史︵1814年︶に、﹁八ヶ岳に風ノ三郎ガ岳がある﹂と記されており、八ヶ岳おろしのことを﹁三郎風﹂と言ったと伝わる。 ●長野県南佐久郡南牧村﹁風の三郎社﹂、今は台座だけが残っているという。 ●信濃諏訪神は風神。﹁日本書紀﹂持統天皇五年八月二十三日﹁使者を遣わして、竜田風神、信濃の須波(諏訪)水内等の神を祭らしむ﹂とある。持統天皇が風神・竜田神社と信濃諏訪神に使いを派して祭らせて風封じをしていると言う。 ●風の三郎伝説は、福島・新潟・長野県などにある。 ●宮沢賢治作品には、初期の﹁ひかりの素足﹂、中期の﹁イーハトーヴ農学校の春﹂﹂、また﹁風の又三郎﹂に﹁風の三郎﹂伝承からと思われる題材が使われている。
交通
編集- 最寄駅:飯田線伊那本郷駅
- 高速道:中央自動車道松川インターチェンジ
備考
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