北政所(きた の まんどころ)は、平安時代三位以上の公卿正室の呼び名。

平安中期以降は、宣旨をもって特に授けられた摂政関白の正室の称号。

概説

編集

北方

編集

殿殿殿

殿 

婿

政所

編集

平安時代の親王や三位以上の公卿には、自身の家庭や邸宅に関する私的な諸事を司る事務所を自邸内に開設することが認められた。これを「家政を司る所」という意味から政所といった。

「北政所」称号の成立

編集

そしてその邸宅の主が三位に上って政所を開設すると、この「北対」・「北方」は「北政所」と呼ばれた。したがって平安初期は、三位以上の公卿の正室は皆「北政所」と呼ばれた。

しかし平安中期以降は、これが格式化し、「北政所」は宣旨をもって贈られる称号となり、しかもその対象は摂政または関白正室のみに限られるようになった。

各論

編集

平清盛の娘たちの場合

編集



殿殿殿 

殿殿使

三条西実隆の娘の場合

編集

西47251495824662915017243312181504115

[1]

太閤秀吉の北政所と大政所

編集

[2]

[3]

/ 

脚注

編集


(一)^ 200518196264

(二)^ 2

(三)^ 

関連項目

編集