千頭清臣
教育者、内務官僚、知事
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経歴 編集
土佐藩士・千頭清雄の二男として生まれる。1880年、東京大学文学部を卒業。1881年7月、東京大学予備門教諭に就任。1886年、イギリスに留学。帰国後、第一高等中学校教諭となり、さらに、鹿児島高等中学造士館教授、高知県尋常中学校長、第二高等学校教授を歴任。
1896年8月、内務省に転じ、内務書記官兼内務省参事官に就任。1897年11月、栃木県知事︵﹁栃木県知事一覧﹂参照︶に就任。以後、宮城県・新潟県・鹿児島県の各知事を歴任。1907年12月、鹿児島県知事を辞し、同年12月10日、貴族院勅選議員に任じられ[1]、死去するまで在任した。1911年10月14日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[2]。墓所は青山霊園(1ロ25-2)