南海本線の輸送力増強を図るのと、1973年︵昭和48年︶に実施された架線電圧の600Vから1500Vへの昇圧で従来使用されていた1201形・1551形・2001形・1501形などの旧形車を置き換えるため、1963年︵昭和38年︶から1973年にかけて製造された20m級片側4扉の高性能車である。1963年から1968年︵昭和43年︶にかけて製造された7000系と、1969年︵昭和44年︶から1973年にかけて製造された7100系があり、両系列は扉の構造と扉間の窓配置が異なるが、性能は同一である。
7000系は南海本線・空港線で2015年まで使用されていた。7100系は南海本線・空港線・和歌山港線・加太線・多奈川線で現在も使用されており、10000系と併結して、特急﹁サザン﹂の自由席車両として運行されることもある︵7000系も同様に特急﹁サザン﹂の自由席車両として2015年まで運行されていた︶。
両系列ともに普通鋼製車体であり、海岸に近い所を走るため塩害による老朽化が懸念されている。登場当初は7000系全車と7100系1次車は非冷房車だったが、後の車体更新の際に冷房装置を搭載した︵ただし、7100系1次車は大掛かりな車体更新をしていない︶。7100系2次車は登場当初から冷房車である。
制御方式はともに抵抗制御だが、超多段式バーニア制御器を採用し、スムーズで衝動の少ない乗り心地の良い加速を実現している。ただし、定格速度が高く設定されているので、弱め界磁制御の速度域までにノッチオフすると遮断までに電流の絞り込みを行わないため、衝動が大きい。また、両系列とも空気ばね台車を採用している。
従来、7000系と9000系のみが女性専用車両の対象であったが、2007年8月に実施されたダイヤ改正以降は7100系も対象に加わった。
非冷房・旧塗装時代の7000系(1987年ごろ。浜寺公園駅にて撮影)
1963年から1968年までの5年間に帝國車輛工業、近畿車輛、東急車輛製造︵大阪製作所︶で90両が製造され、2015年時点で南海本線用車両としてもっとも使用年数が長かった。2007年より廃車が開始され、2015年10月に運行を終了した︵詳細は後述︶。
車体の基本スタイルは普通鋼製であること以外は前年から製造された6000系とほぼ同一で、1959年から製造された1521系・2051系に準じる。1521系からの変更点は、前照灯が当初からシールドビーム2灯であること、窓が2段上昇窓であること、室内の換気装置がファンデリアに変更されていることなどである。製造時の車体塗装は2051系と同じ緑の濃淡のツートンカラーであった。
6000系がオールステンレスで導入されたのに対し、当系列は普通鋼で導入されているのは、オールステンレス車はまだ開発されたばかりで高価格であったことに加え、当時は南海本線の踏切事故が非常に多く、衝突事故に際して修繕を容易にするという目的もあったためである[注1]。南海本線系統に運用されていた通勤形では唯一の片開き扉車両で、南海本線の主力車の一つだった。片開き扉を採用する通勤形は南海では最後であり、日本の大手私鉄においては6000系および、京浜急行電鉄の800形と併せて、2010年代までまとまった車両数が在籍していた。
1983年から冷房化および車体更新を実施し、集電装置も下枠交差式パンタグラフに変更されている。この時、4両固定編成では補助電源装置が電動発電機 (MG) から静止形インバータ (SIV) に変更され、和歌山市方Mc︵制御電動車︶のみ搭載し、すべてのモーター︵難波方Mc車4個と和歌山市方Mc車4個の合計8個︶を難波方Mc車のみで制御するようになり︵ユニット化︶、このときに制御器の種類も変更された。なお、非冷房時代でも1977年12月から翌年8月にかけて、4両︵基本︶編成のうち7001F・7005F・7009F・7021F・7051F・7053Fの6編成24両には、前面・側面に方向幕の設置工事を行っている。残りの編成には冷房化と同時に方向幕の設置工事が行われた[2]。
上記のユニット化により、4両固定編成に補助電源装置は1基のみの搭載とされた。これが故障した時のことを考慮し、営業運転時に4両固定編成を単独で使用することが一部を除いて制限されていた。同様の理由により9000系4両固定編成も単独運用が制限されている。
本系列はその後、実際に車両故障を起こしたため営業運転での4両固定編成単独運用をとりやめ、2両固定編成か4両固定編成の本系列もしくは7100系と併結して、6両ないし8両で運用されるようになった。1994年ごろからは、8両運用を中心に7100系との混結編成が組成されるようになった。
特急、急行、区間急行、準急行、普通車、そのほか、特急﹁サザン﹂の自由席車両として、4両固定編成の10000系と連結し、8両編成で走ることもあり、特急﹁ラピート﹂をのぞくすべての種別の運用につくことが可能だった。2両編成は過去に支線区︵加太線、多奈川線、天王寺支線︶での運用実績がある。
なお、千代田工場への送り込み・返却回送時には4両固定編成単独で運転されたこともある。そのほか、2両固定編成を2本連結した4両編成による営業運転もまれに行われており、この4両が特急﹁サザン﹂の自由席車両に用いられることもあった。
従来、基本的に普通車は4両編成で運用されていたため、車体更新後は主に急行などの優等列車に使用されていたが、1990年代からは6両編成で運転される普通車が増え︵特に2005年11月のダイヤ改正以降︶、本系列による普通車も多く見られるようになった。
片開き扉は通勤形電車としては旧型の機構であり、両開き扉の普及にともない大規模で頻繁な乗降のある車両には不向きであることが判ってきた。本系列においては、両開き車と同等の広さを確保しているため、扉の開閉速度を速くすることで、開閉時間は両開きと大きな差はない。しかし、ドアエンジン装置の入手が困難になっているという問題がある。
座席の長さや位置などの関係上、南海本線の車両では最も着席定員が多いものの、車椅子スペース設置などのバリアフリー対応はしていなかった。
登場当初は難波方からモハ7001形(Mc, 制御電動車)+クハ7901形(Tc、制御車)+モハ7001形 (Mc) +サハ7801形(T、付随車)+モハ7001形 (Mc) の5両編成であった。なお、将来6両運転を開始する時にはT車を新造した上でTc車をMc車に改造し、Mc+T+Mc編成2組で組成する計画であった。そのため、Tc車はパンタグラフの取付が容易にできる構造となっていた。
7001-7901+7003-7801-7002(1963年10月25日竣工)
7005-7902+7007-7802-7006(1963年11月6日竣工)
7009-7903+7011-7803-7010(1963年11月6日竣工)
7013-7904+7015-7804-7014(1964年11月16日竣工)
7017-7905+7019-7805-7018(1964年11月26日竣工)
7021-7906+7023-7806-7022(1966年3月4日竣工)
1966年に6両運転を実施することになり、その際3M3Tの6両で走行テストを行った結果、性能上充分対応できることが判明したためTc車のMc車への改造は見送り、Mc+T+T+Mc+Mc+Tcで組成することとなった。6両編成へ組み替える時T車は番号の若い順から揃えられ、不足分は新造で補った。また、2両固定編成は難波方から和歌山市方に組成された。
7807・7808・7809・7810・7811・7812(1966年11月7日竣工)
7025-7813-7814-7026(1966年11月1日竣工)
7027-7907(1966年11月1日竣工)
7029-7815-7816-7030(1966年11月1日竣工)
7031-7908(1966年11月1日竣工)
7033-7817-7818-7034(1967年11月2日竣工)
7035-7909(1967年11月13日竣工)
7037-7819-7820-7038(1967年11月27日竣工)
7039-7910(1967年11月13日竣工)
7041-7821-7822-7042(1967年11月27日竣工)
7043-7911(1967年11月27日竣工)
7000系の最終製造年となった1968年製造分は普通列車運用向けに4両固定編成のみ製造された[3]。
7045-7823-7824-7046(1968年3月25日竣工)
7047-7825-7826-7048(1968年8月27日竣工)
7049-7827-7828-7050(1968年9月2日竣工)
7051-7829-7830-7052(1968年9月24日竣工)
7053-7831-7832-7054(1968年9月17日竣工)
7055-7833-7834-7056(1968年10月2日竣工)
上述のとおり、塩害問題には長年悩まされている。1980年代に大規模な更新工事を全車に施工することで一旦問題が解決されたが、関西国際空港連絡橋で海上を走行する空港線開業による同線への運用増加や、全編成が更新から20年経過︵一部の車両は25年に達する︶、製造からは40年が経過するなど、同車の老朽化が問題となっていた。
このため南海は、2007年8月ダイヤ改正で高野線から南海本線に2000系の一部の編成を転属させて普通車での運用を開始し、7001F・7005F・7015Fの3編成合計10両を置き換えた。これらの編成はすでに廃車されており、2007年10月までに解体が完了した。同年11月3日の﹁南海電車まつり﹂では、これら解体車両の部品が販売された。
さらにその後、新車8000系の導入により、2008年7月10日付で7009F・7013Fの計8両が廃車解体された。なお7013Fは基本編成で冷房化まで方向幕を装備しなかった編成として廃車となった最初の事例となった[4]。こちらも引き続き﹁南海電車まつり﹂で2編成からの解体部品が販売されている。
また2009年に入ると2連口としては7015F以来2年ぶりに同年5月18日付で7003F・7007Fの2本が、ほかに2010年1月29日付では4連口としては7029Fの1本の計8両が廃車・解体された[5]。これによって3形式すべてのトップナンバーが消滅した。
続いて2011年1月24日付で7023F・7039Fの2連2本、計4両が[6]、2012年4月23日付では7011F・7035Fの2連2本、さらに同年5月28日付でも7025Fの4連1本、計8両がそれぞれ廃車・解体された[7]。また2013年に入ると同年8月10日付で7041Fの4連1本、7027Fの2連1本が、加えて同年12月30日付で7033F・7047Fの4連2本、2度で計14両がそれぞれ廃車・解体された[8]。
以降も2008年3月に営業運転を開始した8000系や、その後継である8300系、さらには泉北高速鉄道より購入した3000系が増備されることにより、7000系の代替廃車を進めており[9]、2015年8月9日に現行塗装車と2連車が消滅した[10]。リバイバル塗装車の7037Fも、同年9月30日をもって営業運行を終了し、同年10月3日のさよなら運転をもって運用を終了した[11][12][13]。これにより、南海本線における片開き式扉の一般車両の運用が消滅した。
- 4両編成
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←なんば 和歌山市・関西空港→
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形式
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モハ7001
(Mc1)
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サハ7801
(T1)
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サハ7801
(T2)
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モハ7001
(Mc2)
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廃車
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その他
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搭載機器
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CONT, PT×2
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CP
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SIV, CP
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車両番号
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7001
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7801
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7802
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7002
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2007年10月29日
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7005
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7803
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7804
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7006
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2007年10月29日
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7009
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7805
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7806
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7010
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2008年7月10日
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7013
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7807
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7808
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7014
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2008年7月10日
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7017
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7809
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7810
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7018
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2014年5月22日
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7021
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7811
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7812
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7022
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2015年7月17日
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7025
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7813
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7814
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7026
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2012年5月28日
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7029
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7815
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7816
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7030
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2010年1月29日
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7033
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7817
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7818
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7034
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2013年12月30日
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7033号はみさき公園にて保存(旧塗装)
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7037
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7819
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7820
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7038
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2015年11月17日
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復刻塗装 最後まで残った7000系
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7041
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7821
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7822
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7042
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2013年8月10日
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7041号はみさき公園にて保存(新塗装)
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7045
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7823
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7824
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7046
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2015年6月26日
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7047
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7825
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7826
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7048
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2013年12月30日
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7049
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7827
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7828
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7050
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2015年5月28日
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7051
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7829
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7830
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7052
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2014年4月8日
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7053
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7831
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7832
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7054
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2014年10月10日
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7055
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7833
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7834
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7056
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2014年7月29日
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- 2両編成
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←なんば 和歌山市・関西空港→
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形式
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モハ7001
(Mc1)
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クハ7901
(Tc)
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廃車
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その他
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搭載機器
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CONT, CP, PT×1
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MG
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車両番号
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7003
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7901
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2009年5月18日
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7007
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7902
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2009年5月18日
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7011
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7903
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2012年4月23日
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7015
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7904
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2007年10月29日
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7019
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7905
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2015年8月9日
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7023
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7906
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2011年1月24日
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7027
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7907
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2013年8月10日
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7031
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7908
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2015年7月27日
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7035
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7909
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2012年4月23日
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7039
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7910
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2011年1月24日
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7043
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7911
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2015年7月17日
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- 凡例
- CONT:主制御器
- PT:集電装置
- MG:電動発電機
- SIV:静止型インバータ
- CP:空気圧縮機
南海7100系電車 |
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南海7100系 初期更新車 (2018年8月 浜寺公園駅) |
基本情報 |
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製造所 |
近畿車輛 東急車輛製造 |
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製造年 |
1969年 - 1973年 |
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製造数 |
152両 |
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主要諸元 |
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編成 |
4両(28編成)、2両(20編成) |
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制御装置 |
超多段式バーニア抵抗制御方式 VMC-HTB-20A |
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備考 |
7000系と共通する点は省略 |
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テンプレートを表示 |
本系列は1973年の架線電圧1500Vへの昇圧において、1201形・2001形など戦前から戦後まもない時期に製作された600V専用の老朽化した電車を置き換えるべく、前述の7000系のマイナーチェンジ車として登場した。
本系列は7000系の客用ドアを両開きに変更し、客室側窓の開閉方法も操作性向上の観点から一段下降式に変更されており、その他集電装置の位置や台車など、細部の変更を行っている。2015年10月に7000系が引退したことにより片開きがなくなり本線を走る通勤車両は本系列を含めすべて両開きとなった。高野線に導入された6100系(現・6300系)は本系列のステンレス車体バージョンである。
1969年から1973年にかけて近畿車輛と東急車輛製造[注 2] で152両が製造された[注 3]。この両数は2009年まで南海の車両史上最も多かった。[要出典]
1次車 (7101F - 7117F)はモハ7101形︵Mc, 制御電動車︶+サハ7851形︵T, 付随車︶+サハ7851形 (T) +モハ7101形 (Mc) の4両編成9本が製造された[14]。このグループは非冷房で登場し、7000系登場時と同じく菱形パンタグラフを使用していた。一部の編成は落成後高野線に一時的に配属されていたことがあるが、これは6100系車両の導入予定年度が1969年度になる予定であったものが、1970年度にずれ込んだためである[15]。
後述の冷房化改造が施工された後は2次車以降と併結可能となったが、実際には改造済みの4両編成を分割の上、さらに別の4両編成と組成して6両編成で運用されることがほとんどであった[16]︵非冷房編成はそのまま4連で運用され、難波方先頭車への貫通幌も装着されなかった︶。
方向幕は1978年に同系4次車・6100系4次車・22000系3次車から取り外した前面のみのタイプを設置していたが、冷房化完了後の1983年から1984年にかけて側面にも設置して外観美を統一した[16]。1985年より1次車を対象とした局部更新工事が開始されたものの施工は半数の18両にとどまった[16]。
1次車は後述の更新工事が施工される時期に、当初の計画が見直され一部編成の廃車が始まった[17]。その際、4両編成3本のうち1編成が2両ずつに分けられ、残りの2編成に振り分け6両固定編成となった。編成組替と同時に新塗装へ塗装変更されており、6100系(現・6300系)中間改造車と同様、編成中間に入る先頭車は帯の塗装を中間車に揃えて前面を無塗装にする処置がなされた。
1000系の増備により、1次車は2003年7月までに全編成が廃車された。廃車時には、編成単位で6両丸ごと廃車されるのではなく、6両編成から中ほどの2両を抜き取り廃車し、残った4両は改めて廃車する手法がほとんどの編成で取られていた。
1970年から1973年にかけて製造された2 - 6次車 (7121F - 7197F) は急行運用を中心に使用する目的で製造されたため、新製時より冷房を搭載している[15]。これらのグループは4両編成とモハ7101形 (Mc) +クハ7951形︵Tc, 制御車︶の2両編成が製造されている[14]。モハ7101形は当時の非冷房車と区分するため7119と7120、さらにMc+T+T+McとMc+Tcの6両単位で作られたため、7124以降は4の倍数の車番が、さらに7197Fが2両組成の関係で、7198も欠番になっている[15]。サハ7851形は製造過程で7898まで達し、これ以上増やすと7900台に入りクハ7901形と番号が重複するため、7899と7900は欠番、形式より若い車番 (7843 - 7850) がある[18]。また、方向幕は2・3次車は搭載していなかったが、1972年製造の4次車は前面のみ付けられ、1973年製造の5・6次車は側面にも方向幕を付けている[19]︵後に全車設置︶。6次車は昇圧後の1973年10月に竣工したため1500V単電圧仕様となっている[19]。また、連結器のジャンパ栓︵受︶も3本から4本に増設されており、1次車とは区別が明確になった。
1979年から1982年にかけて冷房化改造が行われ[19]、この際に下枠交差形パンタグラフに交換されている[16]。
7100系後期更新車(方向幕の枠が大きい)
初期更新車の車内(床敷物の色調が濃い)
1989年より全編成を対象とした更新工事が行われており、側面綱体をブロック工法により取替、外板・屋根鋼板の全面張替、内張デコラの新調、床材の取替、種別・行先表示器の設置が行われた[16][19]。この時期に更新されたのは2次車以降の一部編成︵4両組成の7133F、7137F、7153F、2両組成の7127F、7131F、7143F︶のみで、1次車の更新は見送られた。主な特徴として、座席の長さが変更されておらず7000系と同じ小型の方向幕を採用している[注4]。
1990年後半になると、従来の更新内容に加え排障器の設置︵これについては初期の更新車も後に取付[20]︶、乗務員室の車掌台側に仕切戸の設置、大型化された方向幕の設置、車椅子スペースの設置が新たに施された[21]。前頭部貫通扉への車番貼り付けは更新時には行われなかったが、新塗装が採用された後に随時貼り付けされた。
1992年3月19日からは、7173Fに青と橙色の帯を纏った新塗装が南海一般車において初めて施された。側面の﹁NANKAI﹂ロゴは過度期の旧デザインであったが、翌年1994年にCI導入で新たなデザインのロゴが採用されたため、同年4月2日出場の7151Fからは新ロゴが使用されている[22]。新ロゴは旧ロゴより横幅が狭くなったため、狭くなった分側面のストライプが延長されている。
2000年より、各支線︵加太線、多奈川線、和歌山港線︶におけるワンマン運転が開始されることに向け、2両組成の一部にワンマン対応工事が施工された[17]。主な特徴として自動放送装置、車体横スピーカーが設置されている。
本線での使用も考慮してワンツーマン切替スイッチを設けている[21]。ワンマン改造されていない7100系や7000系との併結運転は可能である[17] が、営業運転は行われないため難波側の前面貫通幌が撤去されている。
2007年には、初期更新車の一部編成に車体の腐食防止策として局部更新工事が施された。更新内容は、外板の交換および再塗装のみで床板の交換や車椅子スペースや車掌台の仕切り戸の設置は行われていない。
2023年より一部編成において標識灯(列車識別灯)のLED化が開始された。最初の工事は7181Fで、2024年5月現在は7編成が改造済みとなっている。同様の改造は6300系(元6100系)にも施工中である。
「めでたいでんしゃ さち」
「めでたいでんしゃ さち」の車内
南海電鉄では2014年11月から加太線沿線の魅力を発信するプロジェクト﹁加太さかな線プロジェクト﹂を進めてきていたが、その一環として7100系ワンマン車1編成 ︵7187F︶を、加太を代表する海の幸﹁鯛﹂をモチーフにした観光列車﹁めでたいでんしゃ﹂にリニューアルし、2016年4月29日より運行を開始した[23]。このめでたいでんしゃは﹁加太の鯛﹂と﹁淡嶋神社の縁結び﹂をイメージし[23]、乗るだけでおめでたい気分になる電車、ずっと乗っていたくなるような愛︵め︶でたくなるような電車、﹁おめでたい﹂と﹁愛でたい﹂が出会って生まれた電車をコンセプトにしている[24]。内装デザインは魚が車内を泳ぐイメージを表現し、優しさと温かみを感じる車内にした[23]。外装デザインは﹁加太の鯛﹂をイメージしたうろこ柄をシンプルに表現し[23]、ピンクを基調とした塗装に変更した[25]。
2017年10月7日から、2編成目となる水色の編成︵7167F︶が運行を開始した[26][27]。2018年3月3日から4月8日まで、一般公募で2列車の愛称が募集され4月26日に公表された[28][29]。それぞれの愛称はピンク色が﹁さち﹂、水色が﹁かい﹂に決定した。両者の名前を合わせると﹁海の幸﹂になり、加太沿線の豊かな海を表している。
また、2018年11月には南海電鉄HPより、﹁さち﹂﹁かい﹂が正式に結婚することが発表され、同月23日には加太駅構内で結婚イベント﹃めでたいウェディング﹄が開催された[30]。翌2019年1月26日には﹁さち﹂﹁かい﹂の2編成を連結し、﹃新婚旅行﹄と銘打って﹁めでたいでんしゃ﹂化後初となる難波への入線を果たした[31]。
2019年3月には2人の子供として赤色の編成︵7197F︶が登場することが発表され[32]、同年3月31日に営業運転を開始した[33]。同年7月25日、同編成は﹁なな﹂の愛称が与えられた。3編成の﹁めでたいでんしゃ﹂の愛称の頭文字を連ねると﹁さかな﹂となる[34]。同編成は2021年7月22日から12月末まで︵予定︶、コラボレーションによりすみっコぐらしのラッピングが追加されている[35]。
2021年8月には4編成目として黒色の編成︵7195F︶が登場することが発表され、﹁かしら﹂の愛称も同時に決定した。同編成は和歌山市出身のミュージシャン・HYDEとのコラボレーション企画として、車内にはHYDEのシルエットやロゴマークも施される[36]。同年9月17日に試乗会を行い、翌18日から営業運転を開始した。なお、﹁かしら﹂は﹁さち﹂の兄という設定になっている[37]。
-
めでたいでんしゃ「さち」
-
めでたいでんしゃ「かい」
-
めでたいでんしゃ「なな」
-
めでたいでんしゃ「かしら」
7000系と同じく南海本線・空港線で、空港特急﹁ラピート﹂以外の全種別の運用に就くことが可能であるが、先述したように7000系は4両編成単独で運用することがほぼなくなったため、4両編成で普通車に使用されることが多くなった。しかし2005年のダイヤ改正以後、全体的に6両編成の列車が増えたため本系列も6両編成を組成して、急行や区間急行に使用される機会が増えた。また8両編成の運転では、2007年6月から女性専用車︵4両組成の4号車に当たる、モハ7101形偶数番号車︶が設定されたため、8月11日のダイヤ変更以降、従来の7000系との併結による8両編成のほか、7100系単独での8両編成も組成されるようになった。2009年4月時点では、一般的には7000系と連結して8両運転されることが多かったが︵この場合、7000系の2両固定編成を2本連結した4両編成との連結時は難波方に、4両固定編成との連結時は和歌山市方に置かれる[注5]︶、前述の7000系が廃車がされたために、7100系単独での6両・8両編成も組成されることが増えている。旧塗装の時代︵7000系冷房化以前︶では当時数少ない通勤冷房車だったために1000系︵旧︶とともにもっぱら6両編成で自由席特急や急行運用に就くことが多かった。
前述のワンマン運転に対応した編成は、加太線・多奈川線、和歌山港線で2200系とともに使用されるなど、多彩な運用を見せている。しかし、2005年のダイヤ改正で支線用ワンマン編成の運用が減ったため、一時期はワンマン編成の一部が本線でも運用されていた[38]。その際は、ワンマン機器が運行上の支障となる理由から必ず4両固定編成の中間︵3・4号車︶に組み込まれ6両編成となった状態で運転される[21]。
8300系への置き換えが進み、南海7100系による8両編成は2019年頃に消滅し、2019年以降では4両編成での普通運用やサザン運用が中心となっている。
1次車は前述の通り更新開始直後の計画見直しや1000系の増備により2003年7月までに廃車・解体されている[17]。廃車時に発生した台車は6100系の6300系化に活用されているほか[39]、制御装置などの各種機器も後年製造・改造されたさまざまな系列に流用されている。なお、電動発電機は水間鉄道1000形︵1001編成︶に流用された。また、前頭部のドアの車両番号表示は、この1次車のみ廃車まで打たれていなかった。
2000年に住ノ江車庫での事故で4両固定編成であった7161Fのうち、難波方2両が廃車になったが、2013年の時点でも4両固定編成18本、2両固定編成21本︵7161Fの残存車含む︶の114両が在籍し、南海で最大の車両数であった。
本線系統において、7100系は7000系についで使用年数が長く製造から50数年に達しており、更新後から数えてもやはり半数以上が30年以上に達している。こちらも徐々に老朽化が目立つようになり、特に窓に関しては、列車同士のすれ違いの際に大きな衝撃が発生することなどが問題となっている。しかしながら製造時期・更新時期ともに7000系より若く、7000系の廃車を優先していることもあり、2003年の元非冷房車全廃後は、2014年まで車両数に変化はなかった。
その後、8300系が2015年10月8日に営業運転を開始したことに伴い、7100系も同年から一部の編成で廃車が発生している。増備等により徐々に廃車となり、在籍数を減らしつつある。2021年現在、4両編成10本、2両編成12本の64両にまで減少した。2019年10月以降は、高野線6000系の置き換えへ移行しており、本系列の廃車はストップしている状態である。
7101F︵7102 - 7852︶
1996年3月15日に下り区間急行として運用中に忠岡駅付近の踏切で立ち往生していた自動車と衝突し脱線[40]。6両組成︵当時は編成組み換えで7103Fに組み込み︶のうち大きく損傷した和歌山市側2両︵7102 - 7852︶が廃車となった。損傷の少なかった4両︵7103F︶は、中間に封じ込められていた7104を運転可能な状態に復元し4両組成で復帰した。7103Fは2代目1000系による置き換えが完了するまで運行された。
7161F︵7161 - 7889︶
2000年7月8日に住ノ江検車区内で暴走し制御不能となり、車止めに乗り上げ脱線した。4両組成のうち難波側2両︵7161 - 7889︶が損傷し翌年の2001年に廃車となり、残存車2両 (7890 - 7162) は本系列の7123F (7123 - 7951) の2両固定編成車を難波方に併結して4両編成で運用され、2005年のダイヤ改正以降は上記のワンマン編成 (7167Fもしくは7187F) を組み込んで6両編成となる場合もあり、普通から急行まで充当されていた。2012年4月のダイヤ改正前には自由席特急にも充当された。この変則編成 (7123 - 7951 - 7890 - 7162) は2015年12月9日付で廃車された[41]。
7185F︵全車︶
2017年10月22日に、同年発生した台風21号の影響で樽井駅 - 尾崎駅間の男里川橋梁の線路が陥没。橋梁に差し掛かろうとした当編成︵下り普通車︶が安全確認の下で橋梁を渡りきったが、通過の際に一時的に脱線し床下を破損したため運転中止となった[42][43]。この時期は7100系の置き換えが進んでいたため、修復を施すことなく4両全車が翌年の2018年2月付で廃車された。
4両編成(1次車)
|
← 難波 和歌山市 →
|
竣工日
|
廃車日
|
備考
|
形式
|
モハ7101 |
サハ7851 |
サハ7851 |
モハ7101
|
区分
|
Mc1 |
T1 |
T2 |
Mc2
|
搭載機器
|
CONT, CP, PT |
MG |
MG |
CONT, CP, PT
|
車両番号
|
7101 |
7851 |
7852 |
7102 |
1969年8月20日 |
1996年5月12日(7852 - 7102) 1999年11月5日(7101 - 7851) |
7852 - 7102は踏切事故により廃車
|
7103 |
7853 |
7854 |
7104 |
1969年8月25日 |
2003年6月19日 |
|
7105 |
7855 |
7856 |
7106 |
1969年8月28日 |
1998年9月21日(7105 - 7855) 2003年6月21日(7856 - 7106) |
|
7107 |
7857 |
7858 |
7108 |
1969年9月4日 |
1999年11月5日 |
|
7109 |
7859 |
7860 |
7110 |
1969年9月16日 |
1998年9月21日(7860 - 7110) 2003年7月15日(7109 - 7859) |
|
7111 |
7861 |
7862 |
7112 |
1969年9月20日 |
2000年5月31日 |
|
7113 |
7863 |
7864 |
7114 |
1969年9月1日 |
2003年6月21日 |
|
7115 |
7865 |
7866 |
7116 |
1969年9月8日 |
2000年5月31日(7866 - 7116) 2003年4月9日(7115 - 7865) |
|
7117 |
7867 |
7868 |
7118 |
1969年9月25日 |
2002年4月19日(7117 - 7867) 2003年4月9日(7868 - 7118) |
|
- CONT:主制御器 PT:集電装置 MG:電動発電機 CP:空気圧縮機
4両編成(2次車以降)
|
← 難波 和歌山市 →
|
製造次数
|
竣工日
|
廃車日
|
備考
|
形式
|
モハ7101 |
サハ7851 |
サハ7851 |
モハ7101
|
区分
|
Mc1 |
T1 |
T2 |
Mc2
|
搭載機器
|
CONT, CP, PT |
MG |
MG |
CONT, CP, PT
|
車両番号
|
7121 |
7869 |
7870 |
7122 |
2次車 |
1970年6月24日 |
|
|
7125 |
7871 |
7872 |
7126 |
1970年7月4日 |
2018年9月10日 |
|
7129 |
7873 |
7874 |
7130 |
1970年7月16日 |
|
|
7133 |
7875 |
7876 |
7134 |
1970年7月1日 |
2019年6月26日 |
|
7137 |
7877 |
7878 |
7138 |
1970年7月9日 |
|
|
7141 |
7879 |
7880 |
7142 |
1971年6月18日 |
2015年12月3日 |
|
7145 |
7881 |
7882 |
7146 |
3次車 |
1971年10月2日 |
2016年10月25日 |
|
7149 |
7883 |
7884 |
7150 |
1971年10月11日 |
2017年10月4日 |
|
7153 |
7885 |
7886 |
7154 |
1972年6月9日 |
|
|
7157 |
7887 |
7888 |
7158 |
4次車 |
1972年6月19日 |
|
|
7161 |
7889 |
7890 |
7162 |
1972年6月23日 |
2001年3月14日(7161 - 7889) 2015年12月8日(7890 - 7162) |
7161 - 7889は住ノ江車庫構内事故により廃車
|
7165 |
7891 |
7892 |
7166 |
1972年6月30日 |
|
|
7169 |
7893 |
7894 |
7170 |
1973年5月26日 |
|
|
7173 |
7895 |
7896 |
7174 |
5次車 |
1973年6月4日 |
2019年6月19日 |
|
7177 |
7897 |
7898 |
7178 |
1973年6月4日 |
|
|
7181 |
7843 |
7844 |
7182 |
1973年6月4日 |
|
|
7185 |
7845 |
7846 |
7186 |
1973年6月4日 |
2018年2月11日 |
男里川橋梁陥没により損傷、廃車
|
7189 |
7847 |
7848 |
7190 |
1973年10月24日 |
|
|
7193 |
7849 |
7850 |
7194 |
6次車 |
1973年10月31日 |
2015年8月11日 |
|
- CONT:主制御器 PT:集電装置 MG:電動発電機 CP:空気圧縮機
- ■:初期更新車
2両編成
|
← 難波 和歌山市 →
|
製造次数
|
竣工日
|
廃車日
|
備考
|
形式
|
モハ7101 |
クハ7951
|
区分
|
Mc1 |
Tc
|
搭載機器
|
CONT, CP, PT |
MG
|
車両番号
|
7123 |
7951 |
2次車 |
1970年6月24日 |
2015年12月8日 |
7890 - 7162と変則4両編成を組成
|
7127 |
7952 |
1970年7月4日 |
2019年6月14日 |
|
7131 |
7953 |
1970年7月9日 |
|
|
7135 |
7954 |
1970年7月1日 |
|
|
7139 |
7955 |
1970年7月19日 |
2017年3月7日 |
|
7143 |
7956 |
3次車 |
1971年10月2日 |
|
|
7147 |
7957 |
1971年10月22日 |
2017年3月7日 |
|
7151 |
7958 |
1971年10月22日 |
2016年8月30日 |
|
7155 |
7959 |
1972年6月9日 |
|
|
7159 |
7960 |
4次車 |
1972年6月19日 |
|
|
7163 |
7961 |
1972年6月23日 |
2019年6月14日 |
|
7167 |
7962 |
1972年6月30日 |
|
めでたいでんしゃ「かい」
|
7171 |
7963 |
1973年5月26日 |
2017年8月23日 |
|
7175 |
7964 |
5次車 |
1973年6月4日 |
2016年8月30日 |
|
7179 |
7965 |
1973年6月4日 |
|
|
7183 |
7966 |
1973年6月4日 |
2017年8月23日 |
|
7187 |
7967 |
1973年6月4日 |
|
めでたいでんしゃ「さち」
|
7191 |
7968 |
1973年6月4日 |
|
|
7195 |
7969 |
1973年10月24日 |
|
めでたいでんしゃ「かしら」
|
7197 |
7970 |
6次車 |
1973年10月31日 |
|
めでたいでんしゃ「なな」
|
- CONT:主制御器 PT:集電装置 MG:電動発電機 CP:空気圧縮機
- ■:初期更新車 ■:ワンマン運転対応車
7000系は2008年度以降、8000系の導入(2014年度までに52両)、2000系の南海本線転属、泉北高速鉄道3000系の南海への移籍により廃車が進み、残りの車両についても、2015年10月3日に実施された引退記念イベントをもって営業運転を終了しており[13]、同年10月8日より営業運転を開始した8300系への置き換えで全廃となった。
現在は8300系の導入により車歴の浅い7100系も置き換えが進んでいるが、6000系の置き換えを優先していること、10000系の置き換えが中断されていることから2024年現在においても大半が現役である。7100系は前述の局部更新工事を施工している車両が増加している。なお、2012年度導入のATS-PNや防護無線は、原則的にすべての車両に設置している。2017年からは、空港線の需要に対応するため一部編成の乗務員室にタブレット式自動放送装置の設置が進められている。機器取り付けの際に、スペース確保のため助手席を撤去している。
7000系 静態保存車︵右‥旧塗装、左‥新塗装︶
みさき公園内にある、2014年9月27日にオープンした﹁わくわく電車らんど﹂にて、2013年に廃車された7000系先頭車2両のカットボディが保存されている。1980年代 - 90年代の姿を再現した旧塗装︵7033︶と末期の姿の現塗装︵7041︶が展示され[44]、両車とも扉の開閉、パンタグラフと前照灯の操作、車掌マイクの扱いが可能となっていた。
みさき公園は2020年3月31日で閉鎖されたため、現在は非公開となっている。
- 大阪府高石市にある南海電鉄の鉄道研修センターにて、7100系1次車を模した先頭車モックアップが設置されており、社員研修や子供向け体験イベントなどで使用されている[45]。
2005年でのリバイバル塗装の7037F
萩ノ茶屋駅2015年でのリバイバル塗装の7037F 萩ノ茶屋駅
1992年までに全車両が現行塗装に変更されたが、南海創業120周年記念キャンペーンの一環として2005年10月1日より2006年7月4日まで7037Fと7027Fの6両が旧塗装である緑のツートンカラーの塗装に変更して運用された[注6]。翌5日に千代田工場にて現行塗装に戻された。これらの車両はのちに、ほかの7000系と共通の運用となった。
2015年には、同社創業130周年を迎えることと同年9月末をめどに当系列が運行を終了することを記念し、当系列と特急サザン10000系の1編成ずつに上記のような﹁懐かしの緑色﹂が再塗装され、同年6月13日から8月31日までは130周年記念の、9月中は引退記念のヘッドマークを掲出して運行された[46]。当系列は約3ヶ月半での運行となるが、旧塗装が復活するのは9年ぶりのことであった。サザンのデビュー当時に準じた塗装は2016年3月まで運行されていた。サザンの旧塗装が施されるのは約20年ぶりのことであった[47]。上記のとおり、このリバイバル塗装編成が、本系列で最後に運行された車両となった。
更に、2024年8月21日より、7100系4両1編成がリバイバル復刻塗装となり運行を開始する予定である[48]。なお、7100系がリバイバル塗装化されるのはこれが初である。
(一)^ 1970年代半ばまで南海本線の高架区間は難波駅から天王寺支線との合流地点︵天下茶屋駅の北側︶までしかなく、地平を走行する区間がほとんどだったためである。
(二)^ 東急車輛製の7100系は、1970年までは大阪製作所で製造されたが、1971年に大阪製作所での鉄道車両の製造をやめたため、1971年以降は横浜製作所で製造された。
(三)^ 本系列の製造終了以後、2015年登場予定の8300系まで近畿車輛への発注はなく、東急車輛 (後の総合車両製作所) に一本化されていた。
(四)^ 改造当初は白地の幕を継続して使用していた。後に黒地の幕に交換されているが、枠のサイズは変化していない。
(五)^ 7000系の4両固定編成を和歌山市方に置いた連結も可能であるが、制御関係からこの編成は実現していない。
(六)^ この編成の運行予定は、登場当初より2005年12月31日まで南海電気鉄道の公式ホームページに掲載されていた。