4[1]4[2]
「旧名所 四ツ橋跡」碑
吉野屋橋跡(画像左)と四ツ橋交差点(画像右)

「四つ橋」(橋)

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江戸時代の四つ橋(浪花百景)
(画像右上が船場側。上繋橋が川の交差部よりやや離れているのがわかる)

西4[3]416228[1]

37-84-531881146184521[1]



西33.6188114353[1]

1908416西27.216.5[1]



西39.118811435[1]



西40.618811435[1]



西42.418547318811440[1]

19241319272121928321125-3427.49[1][4]196439西197045[1]

4西

四ツ橋交差点

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四ツ橋交差点(2018年5月)

現在は長堀通四つ橋筋の交差点名となっている。本来の四つ橋は、長堀川と西横堀川の交差部、つまり、長堀通と阪神高速1号環状線北行きの交差部であるので、四ツ橋交差点は本来の四つ橋の位置より少し西側にずれていることになる。なお、四ツ橋交差点の位置で長堀川に架けられていた橋は「西長堀橋」である。

市電

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1910年(明治43年)頃の四ツ橋交差点

1906399190841西2[4]西[4]

5
   
13
 西  


196944[4]

句碑

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西[5][4]

西

  

188518西[5]



  

[1]19019283[5]

周辺

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四ツ橋は、かつてより都心部の中にあって開けた貴重な部分であったので、よく散歩コースとして市民に親しまれ、また、大阪の名所として[1]観光名所の写真や絵はがきにも多く用いられた。

橋の北西角、交差点の北東角には、東洋初のプラネタリウムが置かれた大阪市立電気科学館1937年(昭和12年)3月に開館し[4]、四ツ橋のシンボルとなっていたが取り壊され、現在はヴィアイン心斎橋長堀通を主テナントとする大阪市交通局所有の複合ビル「ホワイトドームプラザ」となっている。ビルの外観は、屋上部分がドーム状に造られるなど大阪市立電気科学館を模している。

1965年(昭和40年)には、大阪市営地下鉄四つ橋線四ツ橋駅が完成した。

表記(四ツ橋・四つ橋)

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脚注

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(一)^ abcdefghijkl1987206-209 

(二)^ ︿6198494 

(三)^  . .  (2016324). 2018621

(四)^ abcdef︿2013145-147ISBN 978-4-408-45462-7 

(五)^ abc2010174-175ISBN 978-4-422-25058-8 

外部リンク

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