多田佳子
日本の将棋棋士
人物
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●1969年から1974年に4度女流アマ名人戦で優勝するなど当時の女流アマ棋界の第一人者だった。1974年に創設された女流棋士第1号の一人として、蛸島彰子の三段に次ぐ二段でスタートした。
●1975年、第2期の女流名人戦挑戦者として当時無敗の蛸島に挑戦したが、2連敗で敗退した。
●2007年の日本女子プロ将棋協会独立にあたって将棋連盟を退会した。
●近藤正和は奨励会時代に多田の家で暮らしていた時期がある[3]。
昇段履歴
編集- 1974年10月31日 - 女流二段
- 1989年 3月15日 - 女流三段
- 2004年10月 1日 - 引退
- 2005年 4月 1日 - 女流四段
棋戦歴
編集アマチュア棋戦
編集- 1969年 - 第2回女流アマ名人戦優勝
- 1971年 - 第4回女流アマ名人戦優勝
- 1973年 - 第6回女流アマ名人戦優勝
- 1974年 - 第7回女流アマ名人戦優勝
脚注
編集- ^ 出典についてはノートを参照。
- ^ 多田佳子四段 LPSA退会のお知らせ - LPSA・2014年1月31日
- ^ “「羽生に勝たないと一生こんなものしか…」新潟から上京した近藤正和七段は生のナスをかじった”. 2021年10月12日閲覧。