大織冠
概要
編集叙位された人物
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大織を授けられたことが記録に見えるのは、内臣︵内大臣︶の中臣鎌足︵藤原鎌足︶だけである。天智天皇に信任された鎌足は、死の前日の天智天皇8年︵669年︶10月15日に大織冠を授けられた[4]。後に鎌足は﹁大織冠﹂と尊称された。
他の冠位については、﹁大錦上位﹂など﹁位﹂の字をつけるのが普通だが、大織の場合は﹁冠﹂をつけて大織冠と呼ぶことが多い[5]。﹃藤氏家伝﹄上巻にあたる鎌足の伝記は﹁大織冠伝﹂と呼ばれる。
他には斉明天皇7年︵662年︶9月に帰国して百済の王位に就こうとする百済王子豊璋に織冠を授けたとの記事があるが、大織とも小織ともない[6]。このことから、大織と小織は唐が高句麗・百済・新羅の王に一品相当の官を授けたことにならい、外国の王に授けることを想定した冠位だったとする説がある[7]。
他の大臣の例としては大繡の巨勢徳多が最高である。