藤原鎌足

日本の政治家・豪族

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凡例

藤原 鎌足 / 中臣 鎌足
藤原鎌足肖像(菊池容斎画)
時代 飛鳥時代
生誕 推古天皇22年(614年
死没 天智天皇8年10月16日669年11月14日[注釈 1]
改名 中臣鎌子→鎌足→藤原鎌足
神号 談山権現、談山大明神
墓所 阿武山古墳、大織冠神社、談山神社
官位 大織冠内大臣
主君 孝徳天皇斉明天皇天智天皇
氏族 中臣氏藤原氏
父母 父:中臣御食子、母:大伴智仙娘大伴咋子の娘)
兄弟 久太垂目
車持与志古娘鏡王女
定恵不比等氷上娘五百重娘耳面刀自斗売娘
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姿

名称

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   輿[1]

来歴

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『大織冠像』(ロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵)、室町時代16世紀)の作。藤原鎌足が半跏の姿で、息子の定恵不比等の上段に座る。

橿 鹿鹿[2]

使鹿6443[2]退



645鹿鹿使[3]

647364956545

669810[3]56

和歌

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万葉集』に2首所収。『歌経標式』に1首所収。『万葉集』の1首は正室鏡王女に送った物で、もう1首が鎌足が采女安見児(やすみこ)を得たことを喜ぶ歌である。

われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり
(私は安見児(やすみこ)を得た、皆が手に入れられないと言っていたあの安見児(やすみこ)を得たのだ)

采女とは、各国の豪族から女官として天皇に献上された美女たちである。数は多しといえども天皇の妻ともなる資格を持つことから、当時、采女への恋は命をもって償うべき禁忌であった。鎌足の場合は、おそらく天智天皇に覚えが良かったことから、特別に采女である安見児(やすみこ)を賜ったのであろう。

上の歌には万葉らしく、鎌足の二重の喜びが素直に表現されている。すなわち、恋を成就した歓びと、天皇が自分だけに特別な許可を与えたという名誉である。

墓所・祭所

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談山神社の藤原鎌足像





2858

91934

25201312西調[4]

紙幣の肖像

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日本ではかつて紙幣(日本銀行券)の肖像として採用されたこともあり、改造百圓券甲百圓券乙貳拾圓券及び丁貳百圓券に採用されている。

系譜

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=2[5]





? - 683



644 - 665

659 - 720[6]

? - 682



/ 


脚注

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注釈

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(一)^ 1117

(二)^ 629642

(三)^ 

出典

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(一)^    西  1986397

(二)^ 

(三)^ ab ;  2010 /:2015ISBN 978-4-8273-1272-0 

(四)^  . . (20131210). http://www.asahi.com/articles/OSK201312120174.html 20131214 

(五)^ 1993ISBN 978-4121011190 

(六)^ [3]

関連作品

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浄瑠璃
テレビドラマ
漫画
舞台

関連項目

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外部リンク

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