大迫貞清
日本の藩士、官僚、政治家
(大迫喜左衛門から転送)
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/Osako_Sadakiyo.jpg/200px-Osako_Sadakiyo.jpg)
経歴
編集
薩摩国鹿児島城下平之町に薩摩藩士・山之内立幹の四男として生まれ、大迫貞邦の養子となる。万延元年︵1860年︶から京都警備に従事。戊辰戦争では、二番遊撃隊隊長、そして東山道先鋒総督本営付として従軍した。
明治に入り薩摩藩の藩政改革に参政、権大参事として取り組む。明治5年︵1872年︶に陸軍少佐に任官し、中佐まで進み第1経営部司令官に就任。1874年︵明治7年︶1月に静岡県令に転じ、以後、文官として歩んだ。
1883年︵明治16年︶12月、警視総監に就任し、1885年︵明治18年︶12月、元老院議官を兼務した。1886年︵明治19年︶4月、初代の沖縄県知事︵官選︶となる。1887年︵明治20年︶4月に沖縄県知事を退任し、元老院議官に再任された。同年5月24日、戊辰戦争の功により子爵を叙爵した[2]。
1890年 ︵明治23年︶7月10月、貴族院子爵議員に選出され死去するまで在任した[1]。1890年10月20日、錦鶏間祗候となる[3]。1892年 ︵明治25年︶11月、鹿児島県知事に就任し、1894年 ︵明治27年︶1月に退任した。同年2月1日に再び錦鶏間祗候に任ぜられる[4]。墓所は青山霊園(1ロ16-29)。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
親族
編集- 長男 大迫貞武(官僚・東宮侍従)
脚注
編集参考文献
編集
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 叙爵 |
子爵 大迫(貞清)家初代 1887年 - 1896年 |
次代 大迫貞武 |