アメノオシヒ
(天忍日命から転送)
アメノオシヒ(アマノオシヒ)は、記紀等に伝わる日本神話の神。
天忍日命 | |
---|---|
神祇 | 天津神 |
全名 | 天忍日命 |
別名 | 天押日命、神狭日命 |
神格 | 武神 |
父 | 天石門別安国玉主命または高皇産霊尊 |
子 | 天押人命 |
神社 | 住吉大伴神社、伴林氏神社等 |
関連氏族 | 大伴連、丸子連、佐伯連、日奉連等 |
系譜
編集記録
編集後裔氏族
編集
アメノオシヒについて、﹃古事記﹄・﹃日本書紀﹄とも大伴連︵大伴氏︶の祖とする。
また﹃先代旧事本紀﹄﹁神代本紀﹂・﹁天神本紀﹂においても大伴連の祖とし、﹃古語拾遺﹄では大伴宿禰の祖とする。
﹃新撰姓氏録﹄では、次の氏族が後裔として記載されている。
●左京神別 天神 大伴宿禰 - 高皇産霊尊五世孫の天押日命の後。続けて天孫降臨の際の天押日命の伝承を載せる。
●右京神別 天神 大伴大田宿禰 - 高魂命六世孫の天押日命の後。
●右京神別 天神 佐伯日奉造 - 天押日命十一世孫の談連︵大伴談︶の後。
●大和国神別 天神 高志連 - 天押日命十一世孫の大伴室屋大連公の後。
●河内国神別 天神 家内連 - 高魂命五世孫の天忍日命の後。
●河内国神別 天神 佐伯首 - 天押日命十一世孫の大伴室屋大連公の後。
大伴氏のカバネは初め﹁連﹂であったが、天武天皇13年︵684年︶の八色の姓制定時に﹁宿禰﹂を賜っており[3]、カバネの記載が異なるのはこのことによる。
考証
編集
﹁オシヒ﹂の名称については、﹁大し︵おし︶霊︵ひ︶﹂の意とする説や[1]、﹁オホシヒ﹂と見て勇壮な意とする説が挙げられている[4]。
大伴氏は歴史的に天皇・宮門の警護や地方平定などに携わった氏族であり、天忍日命の上記説話のほか道臣命や大伴武日・大伴室屋らの説話は、そうした大伴氏の職掌の起源を説明するのが目的とされる[3]。
また﹃古事記﹄の伝承では天忍日命・天津久米命が同格で先導を行うが、﹃日本書紀﹄・﹃古語拾遺﹄の伝承では同格でなく大来目を従えるという異同が存在する[2][5]。これについて、大伴氏が来目部︵久米部︶を従えるようになったのち、それが神話に反映されたとする説がある[2][5]。
信仰
編集
現在、アメノオシヒは次の神社などで祭神に祀られている。
●伴林氏神社 (大阪府藤井寺市)
●降幡神社︵大阪府南河内郡河南町︶ - 大伴氏支族の居住地といわれる。
●油日神社︵滋賀県甲賀市︶
●矢保佐神社︵長崎県壱岐市︶
●上社︵三重県伊勢市︶ - アメノオシヒを﹁天忍漁人命︵あめのおしあまのみこと︶﹂として祀る[6]。
●大伴神社 (佐久市望月)
脚注
編集参考文献
編集
●﹁天忍日命﹂﹃神道大辞典 第1巻﹄平凡社、1941年。
●﹃神道大辞典 第一巻﹄︵国立国会図書館デジタルコレクション︶34コマ参照。
●上田正昭﹁天忍日命﹂﹃国史大辞典﹄吉川弘文館。
●﹁大伴氏﹂﹃日本古代氏族人名辞典 普及版﹄吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588。