天赦園
愛媛県宇和島市にある日本庭園
天赦園︵てんしゃえん︶は、愛媛県宇和島市にある日本庭園。国の名勝に指定されている。寛文12年︵1672年︶に宇和島藩2代藩主の伊達宗利が海を埋め立てて造成した﹁浜御殿﹂の一部であったが、文久3年︵1863年)に建物等が整備され百歳長寿の大名と云われる7代藩主の伊達宗紀︵号は春山 しゅんげん︶が移居し﹁南御殿﹂と称された後、慶応2年︵1866年︶に築庭が竣工し、﹁天赦園﹂と命名した[1]。鬼ヶ城連峰を借景とした池泉回遊式の庭園で、大名庭園でもある。
天赦園 Tensya Garden | |
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池の中には亀の形の蓬莱島 | |
分類 | 都市公園(歴史公園)、日本庭園 |
所在地 | |
座標 | 北緯33度12分55.85秒 東経132度33分40.05秒 / 北緯33.2155139度 東経132.5611250度座標: 北緯33度12分55.85秒 東経132度33分40.05秒 / 北緯33.2155139度 東経132.5611250度 |
面積 | 11240平方メートル |
前身 | 浜御殿 |
運営者 | 公益財団法人宇和島伊達文化保存会 |
現況 | 8:30~16:30(4月~6月は17:00まで)。休園日・12月第2月曜~2月末の月曜日(祭日のときは翌日)・年末年始・その他天候不良時などの事情で休園もあり。 |
駐車場 | 入園料大人500円各種割引あり、駐車場は無料で有り |
事務所 | 0895-22-0056 |
公式サイト | 天赦園ブログ |
概要
編集
天赦園の名は、伊達政宗が詠んだ﹁酔余口号﹂の中の以下の漢詩から採って命名された。
馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何
︵馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん︶
の一節にちなみ、余生を十分に過ごしたいという思いが込められており、宗紀は隠棲のためにこの天赦園を築き、庵を結んだ。園内には伊達家の家紋である﹁竹に雀﹂より竹を配しているのが特徴で、珍種も含め18種もの竹や笹が植栽されている。また、藤原氏とも関わりが深いことから、多くの藤が植えられ、藤の名所としても名高い。
●総面積は11240m2︵そのうち3分の1を池が占める︶で、形式は池泉回遊式。昭和43年︵1968年︶5月20日に国指定名勝[2]となった。
●建物には旧潜淵館付属茶室・春雨亭がある。
●池護岸や南東部の陰陽石、三尊石組、立石と平天石、枯滝石組と彼流石組、両岸には臥牛石、起牛石、虎吠石などが点在している。
●昭和天皇が大正11年︵1922年︶に皇太子時代に休憩所にされ、昭和41年︵1966年︶に皇后と庭園を散策された[1]。
白玉藤
入口の野田藤
園内奥の野田藤
苔の道
泰山竹
白玉藤
旧潜淵館付属茶室
春雨亭
天赦園碑 春山の揮毛
関連項目
編集- 宇和島城
- 宇和島市立伊達博物館
- 南楽園(南予レクリエーション都市の日本庭園)