宇治 紫文(うじ しぶん)は、一中節三味線方の名跡。代々都派の宇治派家元

初代

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31791 - 5222185845

21849

2代目

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41821 - 121879913

1859218755

3代目

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天保5年12月17日1834年1月15日) - 明治36年(1903年10月21日

本所の生まれ。家業は質屋で1855年に発生した安政江戸地震で自宅が倒壊し呉服業に転業、1857年に一中節菅野派で初代菅野序柳になったが廃業し三味線の糸商に転業、その後宇治派に転じて初代宇治倭文の門下で2代目宇治紫鳳から1875年5月に3代目紫文を襲名した。「葵の上」「廓文」を作曲。

4代目

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(明治14年(1881年2月28日 - 昭和18年(1943年11月17日)本名は鈴木喜久。

東京の生まれ、3代目紫文の孫娘。祖父や杵屋六繁の陶酔し1901年4代目宇治倭文1921年に4代目紫文を襲名した。

5代目

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19188637 - 46197117

4192119475194951968退

6代目

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(明治44年(1911年1月10日 - 昭和49年(1974年1月23日)本名は岩城采子。

大阪の生まれ、1933年から4代目紫文に学び、1939年に宇治文、1968年に5代目紫文が引退したために6代目紫文を襲名。

7代目

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8193388 - 

194419586196419831985199271993199619971999 200311[1]

脚注

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  1. ^ 平成15年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 2 (2003年11月3日). 2004年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月27日閲覧。