六勝寺
平安時代後期から室町時代に洛外白河街区にあった、法号に「勝」の字をもつ六山の御願寺
(尊勝寺から転送)
六勝寺︵ろくしょうじ、りくしょうじ︶とは、平安時代後期から室町時代にかけて、洛外白河街区に位置した、法号に﹁勝﹂の字をもつ六山の御願寺である。白河天皇に続く院政の中枢部として大いに栄えたが、後世の維持管理は停滞し、応仁の乱以降はほぼ廃絶した。現在においては石碑や町名などに面影を残すが、寺域や伽藍配置などにおいて不明な点は多く、発掘による考古学的調査および復元作業が進められている。
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概要
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平安京の洛東・白河の地域に造営された寺号に﹁勝﹂の字が含まれた6つの御願寺の事であるが、女院である待賢門院が建立した円勝寺は後から付け加えられたもので、当初は﹁五勝寺﹂と称されていた︵﹃愚管抄﹄︶。円勝寺以外の五勝寺は白河天皇以降の5代の天皇が﹁在位中﹂に建立を始めた寺院で、白河天皇や鳥羽天皇は退位後に上皇・法皇として多くの御願寺を建立しているものの、いずれの天皇も在位中に建立を開始した御願寺は五勝寺に属する1か寺しかなかった、すなわち﹁天皇の御願寺﹂であったのである。また、他の御願寺は御所などに付属する寺院として建立され、中心伽藍は阿弥陀堂であったに対して、﹁五勝寺﹂と円勝寺は中心伽藍として金堂を持ち、単独の寺院として存続していたことから特別なものとみなされ、以降これ程の規模の御願寺を建立される事は無かった。このため、5代の在位の天皇の御願寺である﹁五勝寺﹂と待賢門院の御願寺である円勝寺をまとめて六勝寺と称されるようになった[1]。
法勝寺
編集詳細は「法勝寺」を参照
尊勝寺
編集最勝寺
編集円勝寺
編集成勝寺
編集詳細は「成勝寺」を参照