小幡治和
経歴
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1928年︵昭和3年︶東京帝国大学法学部卒業[1]。内務省に入り、大阪府経済部長、内務部長、近畿地方行政事務局次長を歴任し、1946年︵昭和21年︶10月4日、福井県知事就任︵事実上最後の官選知事︶[1]。1947年︵昭和22年︶4月5日、地方自治法施行に伴う初の福井県知事選挙にて当選[1]。同年10月、福井県に昭和天皇の戦後巡幸があり、随行役を務める[2]。1955年︵昭和30年︶に知事を2期で退任し、同年3月10日の参議院議員福井県選挙区補欠選挙に無所属で出馬し当選[1]。自由民主党に入り、参院2期の間に党副幹事長や第2次岸改造内閣で防衛政務次官を務める[1]。
俳人としての顔もあり、俳号は小幡九龍[1]。伊藤柏翠や高浜虚子に師事してホトトギス同人[1]。句集も出版し、俳人協会所属[1]。
1975年︵昭和50年︶春の叙勲で勲二等旭日重光章受章︵勲四等からの昇叙︶[1][3]。1980年︵昭和55年︶草樹会理事長杯受賞[1]。
1998年7月29日、呼吸不全のため東京都港区の虎の門病院で死去、93歳[4]。死没日をもって正五位から正四位に叙される[5]。
親族
編集著書
編集- 『素顔の欧米』(1953年2月)
- 『欧米百句』
- 『臥龍梅』
脚注
編集公職 | ||
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先代 斎藤武雄 吉川覚 |
福井県知事 官選第35代:1946年-1947年 公選初・第2代:1947年-1955年 |
次代 吉川覚 羽根盛一 |
議会 | ||
先代 増原惠吉 |
参議院地方行政委員長 1961年 - 1962年 |
次代 小林武治 |