小池国三
経歴・人物
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甲斐の甲府生まれ。小学校卒業後の1878年︵明治11年︶に12歳で若尾逸平の門に入り、株式取引を師事する。1890年︵明治23年︶に若尾が貴族院議員に就任したと同時に秘書を務めた。1895年︵明治28年︶には、若尾と共に生まれ故郷の甲府で綿や絹の商人として活動した。
1897年︵明治31年︶には東京の兜町に自身の商店﹁小池国三商店﹂を設立し、仲買人として証券の取引等を経営した︵1907年︵明治40年︶に合資会社へ改組︶。後に渡米し、渋沢栄一率いる﹁渡米実業団﹂に参加し、ニューヨークのウォール街を視察した。帰国後の1915年︵大正4年︶には、日本科学紙料を設立し、投資以外の役職に携わり、樺太︵現在のサハリン︶の落合︵現在のドリンスク︶にて工場を建設し、製紙の発展に貢献した。1917年︵大正6年︶同社を解散し、かねて買収していた銀行の頭取に就く。解散した証券会社の業務は、新たに設立した元番頭の杉野喜精を社長とする山一合資会社︵後の山一證券、1997年︵平成9年︶廃業︶へ引き継いだ。初めは東京のみ事務所を設置したが、1919年︵大正8年︶に横浜に事務所を設置したのを皮切りに、大阪や名古屋等の主要都市に事務所を設置し、日本における証券の改革に貢献した。後に東京ガスや富士製紙、九州炭鉱等の社長も務め、甲州財閥の重役となった。大正14年3月1日没。墓所は文京区の吉祥寺。
家族
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●妻てるの弟に、樺太農産興業社長・日本人絹パルプ専務などを務めた塚越卯太郎、越中島木材倉庫社長・東洋レーヨン常務・帝国製麻会長などを務めた塚越丘二郎がいる。丘二郎の岳父に三十銀行頭取・古川源太郎。
●小池厚之助 - 次男、山一證券社長。