小田原市立国府津小学校
神奈川県小田原市にある小学校
小田原市立国府津小学校(おだわらしりつ こうづしょうがっこう)は、神奈川県小田原市国府津にある市立小学校。
小田原市立国府津小学校 | |
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過去の名称 | 尋常国府津小学校、尋常高等国府津小学校、国府津尋常高等小学校[1]、国府津国民学校[2]、国府津町立国府津小学校[3] |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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設立年月日 | 1886年2月1日 |
創立記念日 | 2月1日[4] |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B114220620156 |
所在地 | 〒256-0812 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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概要
編集沿革
編集経緯
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小田原市立国府津小学校は、前川小学校からの分離独立により、国府津小学校として設立された後、1892年と1909年に校地を移転し、1924年に現校地へ移った[3]。第二次世界大戦降伏後の学制改革によって、国府津町立国府津小学校となり、1954年12月には国府津町と小田原市の合併により小田原市立国府津小学校となった[3]。
年表
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●1873年 - 学制発布により、周辺3村が合同で、当時の前川村に小学崇広館を設け、これが後に前川小学校と改称した[1]。
●その後、国府津の光明寺に分校が置かれた[1]。
●1886年2月 - 分校を前川小学校から分離独立して、国府津小学校を開設[3]。
●1924年9月 - 現校地へ移転[3]。
●1947年4月 - 学制改革により国府津町立国府津小学校となる[3]。
●1954年12月 - 国府津町と小田原市の合併により小田原市立国府津小学校となる[3]。
●1997年1月 - 校服を廃止[3]。
教育方針
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- 学校教育目標:生きる力 『学んで考える・思いやって助け合う・鍛えて伸びる』 の育成―(知・徳・体の調和)[8]
学校行事
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通学区域
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●小田原市[10]。
●国府津1丁目から3丁目
●国府津4丁目︵1番地1号を除く︶
●国府津5丁目1番地から6番地、および、8番地1号
●国府津
●田島
●小八幡3丁目7番地51号から55号
●小八幡4丁目1番地、および、10番地1号から8号
●小八幡
進学先中学校
編集学区内の主な施設
編集アクセス
編集著名な出身者
編集脚注
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(一)^ abc“発祥の地コレクション‥国府津小学校発祥の地”. m.ogawa/はまだより. 2015年6月10日閲覧。
(二)^ “4.その他、駐留部隊の元軍人に取材 200連隊本部付き下士官 中村力三さん” (PDF). 記録する会通信 (12): p. 2. (2006年4月26日) 2015年6月10日閲覧. "20年4月28日、国府津国民学校に連隊本部を置いた。"
(三)^ abcdefgh“沿革”. 小田原市立国府津小学校. 2015年6月10日閲覧。
(四)^ “開校記念朝会”. 小田原市立国府津小学校 (2015年1月30日). 2015年6月10日閲覧。 “1月30日︵金︶開校記念日の朝会を行いました。2月1日が国府津小学校の129回目の開校記念日で,来年は130回目の記念日となります。”
(五)^ “学校所在地・アクセス”. 小田原市立国府津小学校. 2015年6月10日閲覧。
(六)^ 2014年5月1日現在の数字では、児童数653人が単独で市内最大であり、学級数22クラスは富士見小学校とともに市内最多であった。‥“小田原市立小中学校児童生徒数一覧”. 小田原市. 2015年6月10日閲覧。
(七)^ “衣がえする小学校の教科 算数に﹁集合の考え﹂ “できる子”を伸ばす”. 読売新聞・夕刊: p. 3. (1965年10月4日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
(八)^ “学校教育目標・経営方針”. 小田原市立国府津小学校. 2015年6月10日閲覧。
(九)^ “年間行事予定”. 小田原市立国府津小学校. 2015年6月10日閲覧。
(十)^ “学校基本情報”. 小田原市立国府津小学校. 2015年6月10日閲覧。