小竹岩楠
来歴・人物
編集
和歌山県日高郡島村︵現・御坊市︶に生まれる[2][3]。小学校、中学校時代を首席で通し[4]、1893年に御坊村の小竹家の養子となった[3]。
和歌山県立和歌山中学校︵現・和歌山県立桐蔭高等学校︶を経て[5]、1894年に高等高等商業学校︵現・一橋大学︶に進学した[3]。
同校を病気で中退後[2][3]、鎌倉市の円覚寺で2年間修行し、和歌山に帰郷し兄弟で家業の木材業を再興し[3]、資産家となった[4]。
日高郡で初となる製材所として[4]、1901年に日高製材所を設立[2]。さらに1910年には日高電灯を[3]、1912年には日の出紡績を[3]、それぞれ設立した。
1916年に日高川水力電気を設立し[2]、のちに同社社長にも就任[6]。日高川に水力発電所を建設するなどし、地元の有力実業家となり[3]、1919年にはリゾート開発を行うため[3]、白浜土地建物を設立し[2]、南紀白浜温泉の開発を進めた[3]。
白浜温泉の利便性向上のための交通整備を目的に[3]、1922年に紀勢自動車を[3]、1930年には明光バスを[2]、相次いで設立した。熱心な浄土真宗の信者でもあった[4]。