山口直毅
来歴
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昌平黌出身。学問吟味及第。安政3年︵1856年︶12月甲府の徽典館の学頭となる。翌年山口直養の養子となる。安政5年︵1858年︶学問所教授方となる。万延元年︵1860年︶12月目付となる。文久2年︵1862年︶閏8月目付となり、9月徳川慶喜の上洛に従う。文久3年︵1863年︶講武所奉行並騎兵奉行兼帯。慶応元年︵1865年︶11月に江戸南町奉行兼外国奉行となり、慶応2年8月に歩兵奉行となる。慶応3年︵1867年︶6月、外国奉行兼陸軍奉行となる。慶応4年︵1868年︶1月鳥羽・伏見の戦いでは将軍慶喜に付き従い開陽丸で江戸に帰還した。1月23日若年寄格外国事務総裁となるが、4月14日幕府瓦解で免職となる。維新後は新政府の神祇局に勤務した。同じ幕臣だった向山黄村を盟主とする詩会﹁晩翠吟社﹂にて漢詩の詩作に勤しむ。明治28年に66歳で没した。著書に日記﹃山口直毅日簿﹄、詩集﹃江戸年中行事詩﹄がある。墓所は東京都文京区の蓮光寺。
関連項目
編集- 伊達宗城-生家は同族の旗本山口家
参考文献
編集- 『日本史大辞典』(講談社刊)