御湯殿上日記
内侍司の典侍、内侍などによって書き継がれた日記
御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき・お湯殿の上の日記)とは、御所に仕える女官達(内侍司の典侍、内侍など)によって書き継がれた当番制の日記。
概説
編集
禁裏︵宮中︶にある清涼殿御湯殿の側に女官達の控えの間、御湯殿の上[1][2]があり、そこに備え付けられていたといわれている。当番の女官によって交替で書かれたもので字体は女房文字︵仮名文︶であるが、記録体の部分もある。稀に当代の天皇自身が代わりに書いたと思われる箇所もあるとされている[注釈1]。
本来はいわば宮中の機密日誌︵秘記︶であり非公開のものであったが、後日の参考のために写本が作られる場合もあり、そのため正本・写本・抄本を合わせると室町時代の文明9年︵1477年、後土御門天皇代︶から文政9年︵1826年、仁孝天皇代︶の350年分の日記が途中に一部欠失があるもののほとんどが伝わっている[注釈2]。﹃続群書類従﹄補遺三として文明九年より霊元天皇の貞享四年︵1687年︶までの約 200年分が刊行されている。特に戦乱の激しかった戦国時代の記録が残されているという点で貴重な史料である。また宮廷の女性達が用いていた文字や言語︵女房言葉︶の研究の分野においても貴重な資料となっている。
主に天皇の日常の動向が記述の中心であるが、宮廷行事や任官叙位、下賜進献などの宮中での出来事、皇族・女官・公家の動静等、有職故実面や政治の表舞台には現れない記事も見られる。年中行事・歌会・舞楽・立花・茶湯・貝合・楊弓・囲碁・蹴鞠などの儀礼・文芸・雑芸記事に富むほか、将軍や諸大名ら武家側との交渉や年貢出納など皇室の経済状況、京都内外の雑事も窺える。﹃群書類従﹄に慶長3年︵1598年︶分が収録されて以来、宮廷史・政治史の根本史料として注目されるようになった[注釈3]。
明応九年︵1500︶正月から大永六年︵1526︶5月の後柏原天皇代は欠載。正親町天皇が年始三日間の記事に宸翰を染めた元亀三年︵1572年︶正月分の原本が東山文庫に伝存するほか、江戸時代の霊元天皇貞享元年︵1684年︶より仁孝天皇文政九年︵1826年︶までの正本御湯殿上日記が約四百五十冊伝来し、そのうち慶長十六年︵1611年︶から延宝二年︵1674年︶までは寛永二年︵1625年︶一年分のみが現存する。宮内庁書陵部に所蔵されるのは文化十四年︵1817年︶から文政三年︵1820年︶の四年分十三冊の正本である。
脚注
編集注釈
編集
(一)^ ﹃言継卿記﹄天文17年1月12日︵1548年2月21日︶条によれば、後奈良天皇がある件について調べるために過去の﹃御湯殿上日記﹄を調べたところ、そこが亡き父である後柏原天皇の直筆の部分であったことが記されている[3]。
(二)^ ﹃薩戒記﹄応永32年11月6日︵1425年12月15日︶条において、後小松院が記主の公家・中山定親に対し、宮中のことは女房が扱ってはいるが、それを記録できる者がおらず、自身が記録していたが、度重なる火災で失ったことを嘆く記述がある。この時期には﹃御湯殿上日記﹄が存在していなかった可能性が高く、松薗斉は後小松院の没後に宮中を主導した後花園院が宝徳2年︵1450年︶前後に開始したとする説を提示している[4]。
(三)^ 文献は他に御湯殿上日記研究会﹃お湯殿の上の日記の研究 宗教・遊芸・文芸資料索引﹄︵続群書類従完成会、1973年︶がある。
出典
編集参考文献
編集- 桜井秀「御湯殿上之日記に就いて」(『風俗研究』5、1916、後、同氏『風俗史の研究』宝文館、1929所収)
- 是澤恭三「御湯殿上日記に就て」(『歴史と国文学』53、1932)
- 和田正夫「御湯殿上日記の研究(上)(下)」(『国史学』12・13、1932)
- 和田正夫「御湯殿上日記の一特質」(『歴史と国文学』71、1934)
- 是澤恭三「東山御文庫御秘蔵の御湯殿上日記の由来」(『歴史と国文学』105、1938)
- 花山院親忠「御湯殿の上の日記の文体」(『國學院雑誌』47-8、1941)
- 佐藤謙三「『御湯殿上の日記』より」(『國學院雑誌』48-3、1942)
- 是澤恭三「御湯殿上日記の構成」(『国史学』49・50、1944、後、同氏『王朝文学前後』角川書店、1969所収)
- 是澤恭三「壬生院筆「御湯殿上日記」解説」(『國學院雑誌』55-2、1954)
- 是澤恭三「「御湯殿上」の間の性格(一)・(二)」(『日本学士院紀要』9-3、10-1)
- 花山院親忠「御湯殿の上の日記の性格」(『佐賀龍谷学会紀要』7、1959)
- 是澤恭三「御湯殿上日記の研究 伝播編(一)~(六)」(『日本学士院紀要』15-2・3、16-1~3、17-1、1957~59)
- 是澤恭三「お湯殿の上の日記選釈」(『ぐんしょ』4-5、1965)
- 玉山成元「『御湯殿上日記』にあらわれた浄土宗」(『印度仏教学研究』20-1、1971)
- 御湯殿上日記研究会編『お湯殿の上の日記の研究 宗教・遊芸・文芸資料索引』(平文社、1973)
- 小高恭『お湯殿の上の日記の基礎的研究』(和泉書院、1985)
- 脇田晴子「宮廷女房と天皇―『御湯殿の上の日記』をめぐって―」(『日本中世女性史の研究』東京大学出版会、1992)
- 中井由貴「女房詞と漢語―『お湯殿の上の日記』の文体に関する一考察」(『女性史学』4、1994)
- 湯川敏治「『御湯殿の上の日記』に見る宮廷の女性たち」(『古文書研究』56、2002)
- 井上真生「『御湯殿上日記』の基礎的研究―執筆方法・執筆者について―」(『神戸大学国文論叢』37、2007)
- 井上真生「近世期における女房日記の視点と方法―長橋局による記録を中心にして―」(『神戸大学国文論叢』40、2008)
- 松薗斉「戦国時代禁裏女房の基礎的研究―後土御門~後奈良天皇期の内裏女房一覧―」(『愛知学院大学文学部紀要』44、 2015)