御湯殿上日記

内侍司の典侍、内侍などによって書き継がれた日記

御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき・お湯殿の上の日記)とは、御所に仕える女官達(内侍司の典侍、内侍など)によって書き継がれた当番制の日記

概説

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殿殿殿[1][2][1]

9147791826350[2]1687 200

31598[3]

150015265157216841826殿16111674162518171820

脚注

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注釈

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(一)^ 171121548221調殿調[3]

(二)^ 3211614251215殿21450[4]

(三)^ 殿殿 1973

出典

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  1. ^ 御湯殿の上』 - コトバンク
  2. ^ 御湯殿上』 - コトバンク
  3. ^ 松薗斉『日記の家 中世国家の記録組織』(吉川弘文館、1997年)P194-95
  4. ^ 松薗・前掲

参考文献

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  • 桜井秀「御湯殿上之日記に就いて」(『風俗研究』5、1916、後、同氏『風俗史の研究』宝文館、1929所収)
  • 是澤恭三「御湯殿上日記に就て」(『歴史と国文学』53、1932)
  • 和田正夫「御湯殿上日記の研究(上)(下)」(『国史学』12・13、1932)
  • 和田正夫「御湯殿上日記の一特質」(『歴史と国文学』71、1934)
  • 是澤恭三「東山御文庫御秘蔵の御湯殿上日記の由来」(『歴史と国文学』105、1938)
  • 花山院親忠「御湯殿の上の日記の文体」(『國學院雑誌』47-8、1941)
  • 佐藤謙三「『御湯殿上の日記』より」(『國學院雑誌』48-3、1942)
  • 是澤恭三「御湯殿上日記の構成」(『国史学』49・50、1944、後、同氏『王朝文学前後』角川書店、1969所収)
  • 是澤恭三「壬生院筆「御湯殿上日記」解説」(『國學院雑誌』55-2、1954)
  • 是澤恭三「「御湯殿上」の間の性格(一)・(二)」(『日本学士院紀要』9-3、10-1)
  • 花山院親忠「御湯殿の上の日記の性格」(『佐賀龍谷学会紀要』7、1959)
  • 是澤恭三「御湯殿上日記の研究 伝播編(一)~(六)」(『日本学士院紀要』15-2・3、16-1~3、17-1、1957~59)
  • 是澤恭三「お湯殿の上の日記選釈」(『ぐんしょ』4-5、1965)
  • 玉山成元「『御湯殿上日記』にあらわれた浄土宗」(『印度仏教学研究』20-1、1971)
  • 御湯殿上日記研究会編『お湯殿の上の日記の研究 宗教・遊芸・文芸資料索引』(平文社、1973)
  • 小高恭『お湯殿の上の日記の基礎的研究』(和泉書院、1985)
  • 脇田晴子「宮廷女房と天皇―『御湯殿の上の日記』をめぐって―」(『日本中世女性史の研究』東京大学出版会、1992)
  • 中井由貴「女房詞と漢語―『お湯殿の上の日記』の文体に関する一考察」(『女性史学』4、1994)
  • 湯川敏治「『御湯殿の上の日記』に見る宮廷の女性たち」(『古文書研究』56、2002)
  • 井上真生「『御湯殿上日記』の基礎的研究―執筆方法・執筆者について―」(『神戸大学国文論叢』37、2007)
  • 井上真生「近世期における女房日記の視点と方法―長橋局による記録を中心にして―」(『神戸大学国文論叢』40、2008)
  • 松薗斉「戦国時代禁裏女房の基礎的研究―後土御門~後奈良天皇期の内裏女房一覧―」(『愛知学院大学文学部紀要』44、 2015)

外部リンク

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