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心形刀流

しんぎょうとうりゅう


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使用武器 日本刀
発生国 日本の旗 日本
発生年 江戸時代
創始者 伊庭秀明
源流 本心刀流
主要技術 剣術
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歴史

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伊庭家による歴史

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21682

2

89[1]

9

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伝承された心形刀流

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1019018

1905 

心形刀流の伝承

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米沢藩

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米沢藩では、藩主の上杉斉憲、その子の上杉熊松が心形刀流を学んでいた。幕末期には須藤兵八郎他が伊庭道場で稽古していたという記録が残っている。

村松藩

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村松藩では速水家が中心に心形刀流を指南していた他にも、永井家他多くの人たちが学んでいた。藩主の堀家も代々心形刀流を学んでいたが、第9代藩主・堀直央は奥山理想神伝流剣術を開いた。

新発田藩

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龍野藩

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龍野藩では、第8代の伊庭秀業から印可を得た水谷虎之助によりその道統が広く伝えられていた。

紀州田辺

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紀州藩附家老で田辺(現 和歌山県田辺市)を治める安藤氏の家中では、柏木家が中心となって心形刀流を伝えており、幕末期の柏木兵衛はその剣技と指導が近隣に知られ、十津川郷(現 奈良県吉野郡十津川村)からも学びに来る者がいた。

徳島藩

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2

人吉藩

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人吉藩では、西家で代々心形刀流が継承されていた。安永8年(1779年)に西無一軒が免状を受けている以外にも、西昌壽が第7代の伊庭秀淵より免状を受けている。

伊庭家系譜

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 1649-1713

 1675-1739

 婿1708-1752

 1717-1762

 1744-1826

 婿1771-1842

 1790-1830

 1810-1858

 1822-1886

1844-1869

1851-1907

心形刀流の門弟

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 - 

 - 21865197550327

 - 

 - 

 - ?

 - 

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心形刀流組武芸型(亀山伝)

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「抜合(居合)」表六本

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  • 向覃中刀 (むたんちゅうとう)
  • 逆膝覃中刀 (そうしつたんちゅうとう)
  • 左小肘刀 (ひだりこひじとう)
  • 右小肘刀 (みぎこひじとう)
  • 後腰車刀 (ごこししゃとう)
  • 一句貫刀 (いっくかんとう)

「抜合(居合)」裏六本

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  • 前肩井刀 (ぜんけんいとう)
  • 透肩井刀 (とうけんいとう)
  • 左撞留刀 (さしゅりゅうとう
  • 右逆車刀 (みぎぎゃくしゃとう)
  • 後肩留刀 (ごけんりゅうとう)
  • 燕帰刀 (えんきとう)

組太刀「大太刀之形」六本

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  • 第一本目 華車刀(かしゃとう)・中合刀(ちゅうごうとう)・中道剣(ちゅうどうけん)・陰合刀(いんごうとう)・錺捨刀(ぼうしゃとう)
  • 第二本目 合捨刀(ごうしゃとう)・捨輪刀(しゃりんとう)
  • 第三本目 直和刀(ちょくわとう)
  • 第四本目 獅子乱刀(ししらんとう)・虎尾剣(こびけん)・陰捨刀(いんしゃとう)
  • 第五本目 陽知刀(ようちとう)・捲撃刀(けんげきとう)・陽見刀(ようみとう)
  • 第六本目 陽遊剣(ようゆうけん)・別車刀(べっしゃとう)

組太刀「小太刀之形」六本

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  • 中住別剣(ちゅうずみべっけん)
  • 清眼左足(せいがんさそく)
  • 清眼右足(せいがんうそく)
  • 両手切(りょうてぎり)
  • 裏之波(うらのなみ)
  • 清明(眼)剣(せいがんけん)

「二刀之形」

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  • 向満子(むこうまんじ)
  • 横満子(よこまんじ)
  • 横満子残(よこまんじのこし)
  • 刀合切(とうごうせつ)
  • 相捲(そうまくり)
  • 清眼破(せいがんやぶり)
  • 柳雪刀(りゅうせつとう)
  • 鷹の羽(たかのは)
  • 水月刀(すいげつとう)
  • 三心刀(さんしんとう)
  • 無拍子(むびょうし)

「枕刀」

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  • 右押之甲手切(みぎおしのこてぎり)
  • 左押之甲手切(ひだりおしのこてぎり)
  • 脾尻突(ももしりつき)
  • 右押甲手切(みぎおしこてぎり)
  • 左押甲手切(ひだりおしこてぎり)
  • 右脛切(みぎすねぎり)
  • 両脛切(りょうすねぎり)

「坐突・柄捕り」

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  • 坐突(坐技) 三本
  • 柄捕(立技) 三本

脚注

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(一)^ ab 2822011

(二)^  | . shingyoutouryu.com. 201992

関連項目

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外部リンク

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